研究者の仕事術

実践と研究の両輪を回す実践的研究者の仕事のつくり方

実践の質を追求する、新しい研究のスタイル。

takaotakashi

高尾 隆

東京学芸大学 芸術・スポーツ科学系音楽・演劇講座演劇分野 准教授

研究テーマ:演劇教育・インプロ
Twitter:@takaotakashi

プロフィール詳細
http://domingolabo.net/takao.html

多様な実践を展開しながらも、核となる信念を持つ。

Q:今回のインタビューは阿佐ヶ谷のライブバーGAMUSOにお邪魔しています。「研究者の仕事術」を研究室以外でインタビューするのは初めてです(笑)

あ、そうですか(笑) 僕は本当に研究室にほとんどいないんですよね。多分、研究室にいるよりもここで即興演劇(インプロ)の稽古や舞台をやっている時間の方が長いです。なので、研究室に来てもらって「ここが仕事場です」というのは、嘘になりますよね(笑)

Q:最近では書籍『インプロする組織』を中原淳先生(東京大学)と共著で出版されましたね。インプロを中心とした実践を数多くされている印象がありますが、現在取り組まれている実践活動について教えて下さい。

僕の場合は実践と研究を素直に切れないし、実践と言っても色々なことをやっています。ざっと説明すると、まず「即興実験学校」という活動をしていて、インプロのワークショップと公演を毎月おこなっています。また、杉並区の公共劇場である「座・高円寺」にある劇場創造アカデミーという演劇人養成機関で、インプロや演劇教育について毎週教えています。そこには役者志望もいるし、演出家志望もいるし、劇場運営者志望もいるし、目的も年齢も幅広い人が学びにきていますね。

また、大学では芸術系の学生や、教師を目指す学生を対象に、演劇やインプロ、演劇教育や応用演劇(社会的活動のための演劇)を教えています。大学以外でも、幼稚園から小中高まで色々な学校で授業をしたり、教員研修もやらせて頂いています。ここ数年では企業研修の依頼もとても多いですね。企業といっても企画系から営業系、介護系まで、様々な企業から依頼を頂いています。最近は医学薬学系の大学でもニーズが出てきています。患者さんに薬について説明するための練習をロールプレイを行うことが多いのですが、その患者役のボランティアの方を対象に演技を教える仕事なんかもあります。

あとは、まちづくり系の仕事もあります。昨年は沖縄市のとある商店街を元気にするために「商店街対抗インプロ合戦」みたいなプロジェクトをやったりしましたし(笑)、去年は震災があったので気仙沼のまちづくりのプロジェクトにも関わらせていただきました。気仙沼の地元の人たちに、気仙沼はもともとどういう街だったのか、どういう風景が大事にされてきたのか、どんな思いで住んでいたのか、震災の時に何をしていたのか、などを聴いて、それをまちづくりに活かしているのですが、その時のインタビューの資料が沢山あって。それってすごく大事な記録だけど、いざ街をつくる段階になると、そういう思い出はなかなか出てこなくなってしまうし、しばらくすると消えてしまう情報だなぁ、と思ったんですね。そこで、気仙沼以外の東北の人にもそういう記録を届けたいと思い、そのインタビュー資料を、建築の方々がつくった大震災前のその街の模型の前で、即興のピアノとともにそのまま読む、という演劇作品を作ったんです。横浜トリエンナーレや大阪などで上映したほか、国際交流基金から資金をいただいたので、今は作品の映像が世界展に出ていて、世界20カ国でみていただくことになっています。

Q:色々な領域からインプロの手法が求められているんですね。

大体の仕事が演劇以外の領域の方とやる仕事ですね。ありがたいことに、たまたま出会った人からの紹介など、人のつながりから声をかけて頂くことが多いです。僕は自分のことをただ細々と演劇をやったり演劇を教えてる人間だと思っていたので、なんでこんなに多様な他領域の人たちが声をかけてくれるのか、未だによくわかっていないんです(笑) 特にこの2〜3年間はすごい勢いで活動が拡がっていますね。

Q:様々なニーズに合わせて実践活動を行うのは大変ではありませんか?

インプロに関して言えば、場所や対象が変わるからといって、特にやり方は変えません。4歳の幼稚園児にも、企業のマネジャーにも、60代70代の方にも、基本的に同じことをやっているんですよ。そういえば、4歳児にワークショップをやったときに、保育園の先生から「この子たちも親の期待とかで色々大変だから、今日は自由に遊ばせてやってください。」って言われて衝撃を受けたことがあります(笑)

Q:凝り固まった企業の大人をほぐすのも、4歳児相手も、同じだと(笑)

どちらにせよ「カチカチなっている人をインプロでほぐす」というのはとんでもなく難しい仕事だと思っています。ワークショップは見る人から見ればただ楽しく遊んでいるようにしかみえないかもしれないけど、多様の参加者に、彼らが「縛られているもの」から自由になってもらって自由に創造性を発揮できるようになってもらう、というのはとてもじゃないけどファシリテーターが技術と理論をかなり幅広く深く持っていないと支援出来ません。

僕は年間100回はワークショップをやっていると思いますけど、ワークショップがうまくいったと感じるのは年に1回か2回しかないですね。そういうときは、たいていこちらの予定通りにいかなかったときです。何かの拍子で予定通りにいかないことが起きて、参加者も何かが生まれたと感じて下さって、僕もすごく刺激を受ける。何かすごいものが出来あがったとか、そういうことではないんですけどね。そういう回は、年に1、2回しかありませんね。

それでも、変わろうとしない人を無理矢理こじあけたりすることは絶対に出来ないし、しようとも思いません。僕がワークショップをやる上での大前提は、「人は人を変えられない」ということなんです。今よりも若いときは、実践でもっと期待に応えなきゃと思うこともありましたし、ワークショップで参加者に影響を与えられなかったら責任を感じたりすることもありました。けれど、色々な実践経験を経た今では、根底にある思いはぶれなくなりましたね。結局、自分をときほぐせるのは自分だけだし、自分は自分にしか変えられないんですよね。僕がやれる仕事は、インプロを使って、自分で変わろうとしている人が変わるきっかけをつくってあげることだけです。そういうことを考えながら、実践をしています。

“パフォーマンス”という新しい研究活動の形。

Q:これらの多様な実践活動は、どのようにして研究活動につながっているのですか?

僕は「研究活動」の範囲を広く捉える必要があると思っていて、ただ学会に所属して論文を生産することだけが研究活動だとは考えていないんです。だから、実はここ1、2年で、ほとんどの学会をやめてしまいました。学会って、同じジャンルの人達が集まっているじゃないですか。さっきもお話しした通り、僕のほとんどの仕事は異業種の方から頂いていますから、同業の人と一緒にいても仕事につながらないんですよ(笑) だから学会の外に出て行って異業種の人たちと会っている方が、よっぽど何か新しいものが生まれるんですね。なので、いわゆる守るための学問や論文生産のための研究活動はしなくなってしまったんですよね。

僕にとっての研究活動は、自分がやっている仕事と近い仕事をしている人たちを、「言葉」によって元気づけたり、影響を与えることだと思っています。じゃあそういう人達に言葉を届けようと思ったときに、今の時代は論文以外のものを書いた方が力になれると思ってるんです。特に僕の領域は少数派なので、皆さん孤軍奮闘しているんですね。たとえば組織の中で一人で実践しながら、インプロという、すぐに目に見える効果が出ないものの価値を組織に説明するのに苦労されていたりするんです。そういう状況に立たされた人たちを元気づけようと思ったら、アクセスしにくい論文よりも、きちんと届く形で使える言葉を渡してあげたいなぁという気持ちでいます。

Q:どのようにして言葉を届けるのでしょうか?

一般書もそうですし、今の時代はソーシャルメディアでの発信はすごく力がありますよね。あともう一つ考えていることは、研究のパフォーマンス化という手法です。僕は質的研究をずっとやってきましたが、ここ10年ほどの海外の質的研究の動向をみていると、最終的な生産形態を論文にするのではなく、パフォーマンスとして社会に届けるという研究が増えてきているんです。たとえば、エスノグラフィーって、ルポルタージュ的な文章にまとめますよね。海外で「パフォーマンスエスノグラフィー」というのをやっている人達は、自分たちがエスノグラフィーで得た語りを、そのまま戯曲にして上演してしまうんです。それを調査対象も含めて多くの人にみてもらって、研究にフィードバックをもらうんです。論文として書くと、論文にアクセス出来る人はすごく限られているし、特に調査対象者だった人はほとんどアクセスしない場合が多いですね。それよりも、作品にして公開したほうが多くの人に見てもらえるし、内容に関して意見をもらうことが出来ます。

Q:研究をパフォーマンスとして社会に届けるというのは面白いですね。パフォーマンスの形としてどのような形式があるのでしょうか?

現在では、パフォーマンスがフィクションでも良いじゃないかという流れにまで発展しています。エスノグラフィーからある典型的なパターンを抽出しようとしたときに、個別のエスノグラフィーだとフィットしないこともあるわけですよね。なので、いくつかのエスノグラフィーを組み合わせながら、典型例をフィクションとしても作ってよいのではないか、という考え方です。目的によりますが、僕もこういうやり方はありだと思っています。そこで、戯曲だけでなく、詩で表現しようとか、映像にしちゃえという動きもあります。そうやって考えていくと、自分の中でだんだん研究を固定的に捉えなくても良い気がしてきたんですね。

複数のアイデンティティを融合させる。

Q:そう捉えれば、研究活動と実践活動が重なっていきますね。

そうですね。ずっと自分の中で引き裂かれていた「研究者として研究をすること」と「教員として大学で教えること」と「役者として舞台で公演すること」という別々の話が、融合して考えられるようになりました。

それと同時に、ワークショップのファシリテーターとしての気質と、エスノグラファーとしての気質が似ていると気づいたことも大きかったです。それまではずっと昼間は研究者で、夜は趣味で演劇やっている…みたいに研究と実践がバラバラに分離していましたが、その二つをつなげて考えられるようになって、すごく楽になりました。

エスノグラフィーをやっているとワークショップも上手になるし、ワークショップが上手になるとエスノグラフィーも上手に書ける。エスノグラフィーを演劇として上演することは研究につながって、今度はそこに学生を巻き込んでいけば、それは学生にとって一番の学習の機会になる。分離して考えていた自分の活動が、「研究活動」でも「教育活動」でも「芸術活動」でもない、一つの活動として混ざり始めたんです。

Q:なぜあえて大学教員として、研究者として、活動を行うのでしょうか?

今所属している東京学芸大学はものすごく居心地が良いと感じています。僕と同僚関係にある人たちは、みなさん書道だったり音楽だったり美術だったりが専門なのですが、たとえば音楽の方だったら作曲やピアノのコンクールで入賞されていたり、論文生産が全てではないと考えている方ばかりなんです。僕は「研究=論文を書く」っていう図式を破壊したいと思っているので、そういう意味で良い環境です。

また、教員養成の大学なので、いわゆる芸術家を育てるだけではないので、芸術の世界だけにも閉じこもらずに拡がりのあるところで活動できるのも魅力です。僕は常に純粋芸術でもない、純粋な社会活動でもない、芸術と社会の間の領域に関心があるので、そういう活動がやりやすい環境だと思ってるんです。

ただひたすらに実践の質を追求する。

Q:大学教員であることも、研究の知見や理論もあくまで実践に役立つものとして捉えている印象を受けました。

そうですね。プラグマティズムの影響を受けていると思いますが、どんなに素晴らしい理論であっても、みんなの役に立たないと意味が無いと思ってたんですよね。やっぱりずっと、自分を研究者としてはアイデンティファイしていなくて、とにかく良い実践をしたかったんですよね。うまく教えたかったし、良い舞台がやりかたった。そのためには沢山勉強しなければいけないし、それも一つのことを勉強すれば良いわけじゃないことがわかってきた。演劇のワークショップで起きていることは社会学だけでは説明できないし、心理学も必要だし、現代思想的な知識も必要だし、ありとあらゆるものを重ね合わせないとわからない。とにかく良い実践をするために勉強をしました。

だから、逆にいえば何一つきちんと修めた学問はないと思っています。それは修士2年の時の悩みでもあって、当時の指導教員に相談をしたんですが、「じゃあ、あなたは偉大な中途半端路線で行きなさい」ってアドバイスされて(笑) それで覚悟を決めて、中途半端路線を歩むことにしました。社会学博士を取っていますが、社会学を修めたつもりはまったくないし、学問的には全部中途半端です。ただ、自分の実践に必要なことをやっただけなんです。

Q:研究者として本を書くことも、良い実践のためなのでしょうか?

本を書くことはすごく自分のためになりますね。実践の中でモヤモヤと考えていたことをまとめなければいけないので、本を書く中で沢山のことがクリアになります。また、ワークショップでは1度に20人とか30人の人にしか出会えませんが、本を書くことでやっていることをきちんと残し、より多くの人に届けられると思ってます。

ちなみに、次にインプロの本を書くとしたら小説を書きたいんですよ。演劇の世界にスタニスフラフスキーというロシアの有名な演出家がいるのですが、彼は自分の俳優訓練の方法を『俳優の仕事』という自分自身を主人公にした小説に残しているんですね。なぜかというと、俳優が育つプロセスは、こうしてこうしてこうなると育ちます、と体系的には書けないから、物語として人を描くしか書きようがないからなんです。この小説には彼の演劇の方法論が全て詰まっていて、確かにスッキリ書かれていないので誤解も起きやすいのですが、もともとが複雑な過程なので、そういう風にしか書けないんですよね。

即興演劇との出会い。

Q:これまでの経緯についてお聞かせ下さい。幼少時から演劇に興味があったのですか?

小さい頃から芸術が好きで、特に音楽が好きでした。けれども、うちはそこまで裕福ではなくレッスンに通ったり芸術系の大学に進むことも出来なかったので、それは諦めて受験勉強をしました。けど、ずっと芸術のそばで何かをしていたいという気持ちがあって、芸術に関わりながらどうやって食っていくか、ということはずっと考えていました。

Q:演劇に出会ったのはいつですか?

大学生の頃にみた学生演劇です。それまでの僕にとっての演劇のイメージは、NHKテレビで見たことのある、舞台セットがあって、1000人くらいの大きいホールでやるような演劇だったんですが、その時に見たのは小劇場で、それがとても面白かった。目の前で役者が動いてるし、何より役者がギャグをやったことに衝撃を受けたんですよ。演劇で笑いとか取っていいんだ!って(笑) ラストシーンでは紙に書いてある詩を空から降らす演出があって、こんなことまでしていいのか!と、それもすごく驚きました。今振り返れば、演じる側と観る側がはっきり分かれていると思っていたものが一体となって感じられた経験で、そのときから演劇が面白くなりました。

インプロ(即興演劇)に出会ったのは、大学3年生の時です。即興演劇の先生が来るから遊びに来ない?って誘われて。それまでも即興の訓練はずっとやっていましたが、インプロが面白かったのは、その背後に色々な考え方が含まれていて、何か理論がきちんとある感じがしたんですよね。その頃、僕は英語がすごく苦手だったんですけど、当時付き合っていた人が英語学の人だったので、「一回海外に行ってこい」と言われて(笑) それで、どうせ行くなら海外のインプロを観に行こうと思って、劇場に見学に行ったんです。そうしたら、そこの人たちが本当にすごく良い人たちばかりで、親切に歓迎してくれたんです。当時アジアからインプロの勉強しにきた奴なんか初めてだったと思いますよ(笑)

インプロの劇場に集まっている人たちもとても面白かった。ほとんどは若い俳優さんや俳優の卵なんですけど、その中になぜか一人だけ弁護士さんがいたんです。あとでわかってんですが、アメリカでは弁護士と政治家は演劇のスキルが必須なんですね。陪審員裁判なので、演技力がなければ裁判に勝てないんですよ。そこで初めて、演劇が他領域に応用される可能性があることを知りました。

Q:そのままインプロの道に?

いえ、演劇で食っていけるとは思っていなかったので、広告業界を志望して就職活動を始めました。ところが、僕はスーツがダメだってことがわかったんです。ネクタイをすると首にあせもが出来るんですよ(笑) 就職か大学院かをいよいよ選ばなければいけない時だったし、思い切って就活はやめて、演劇教育で大学院に行くことを考え始めたんです。僕は東大文学部の社会心理にいたので、4年生から教育学部の授業を受けるようになって、そこで教育学の基礎を学びました。ところが、うっかり東大の教育学研究科の願書提出が締め切りに間に合わず(笑)、練習でもう一つ受験していた一橋大学の社会学研究科に進学することになりました。

その時はさすがにまだインプロは研究にならないだろうと思っていましたが、開発教育とか異文化間教育とか国際理解教育の領域ではゲームやアクティビティを使った教育が実践されていたので、そこに絡めて演劇的手法を用いたコミュニケーション教育をテーマに修士研究をやりました。そういう風にしか、自分を表現する手段がなかったので。

Q:高尾先生の博士論文は『インプロ教育:即興演劇は創造性を育てるか?』として出版されていますが、インプロを研究テーマにしたのは博士課程に進学してからですか?

そうですね。博士過程に進んだ2000年頃から、インプロを研究テーマにしようと覚悟を決めました。現在続けている即興実験学校を立ち上げたのも、D2(2001年)の時です。自分が何に興味をあるのか考え直していたD1のときに、あるきっかけからサンフランシスコでキース・ジョンストンのインプロワークショップに参加したんですが、自分の世界が大きく広がる経験で、すごく得るものがあったんですね。それで、D2になった翌年にも参加したんですが、ところがそのときはそれほどインパクトを受けなかったんですよ。それで、これは自分が1年間でそれほど成長していないってことなんじゃないか?って思ったんです。もし1年間自分が動いて成長していたら、その間にいろんな疑問が生まれて、それをこの場で学んで解決することになっていただろうけど、何も感じないということは、自分が変わっていないんだと思ったんです。自分が動かなければいけないと思って、日本に戻ってすぐに「即興実験学校」を立ち上げました。

その翌年、D3になった2002年くらいから、 研究の視点としてチクセントミハイの創造性のシステムモデルを研究の分析枠組みとして設定し、博士論文のためにキース・ジョンストンにインタビュー調査を行ったりし始めました。大学で演劇ワークショップの授業を持ったのもこの時ですね。博士論文を2004年に書き終えてから、2005年に就職をしたのですが、当時は学生の学習カウンセリングの仕事をしていました。そうやって大学で教育だか研究だかよくわからないことをやっているうちに、今やっていることのアイデアの種が沢山出て来て、それが形になり始めたのは今の職場に移った2009年頃からですね。

よくわからない「雲」を追いかけ続ける。

Q: 今後のビジョンについてお聞かせ下さい。今後も演劇教育やインプロの研究を大学教員として続けていくのでしょうか?

インプロに出逢った大学生の当時は、日本のインプロ人口は100人だったので、インプロで博士論文を書くこととか、就職してインプロを教えることが出来ることとか、インプロの舞台を上演出来ることとか、今やっていることは、全部夢だったんですね。ものすごい夢だったんです。ところが、それがもう大体叶ってしまった。インプロは捨てませんが、「次」を考えないといけないなと思っています。もうあとは固定化と保守化しかないですから、これでインプロで終わるのはあまりに苦しすぎる。

Q:インプロに飽きてきているということでしょうか?

そうかもしれません。谷川俊太郎さんが「創造性とは飽きる力である」という話をされていて、その通りだと思うんですよね。僕は小さいころから「死ぬこと」が怖かったんです。小さい頃に思ったのは、僕にとって会社に勤めるっていうのは一気に死が見えることだったんですね。22歳とかで勤めて、60歳で定年で、あー俺は死ぬんだって。だから、なるべく未来は先が見えない「雲の中」にあって欲しかったんです。だから、何かが完成して先が見えてしまうことは、僕にとっては死ぬことなんです。だから、インプロは完全に捨てないけれど、次の新しい雲が必要なんです。そこで、学生の間ではすこぶる評判が悪いんですが(笑)、実は僕は「50歳で指揮者になる」と公言しているんです。

Q:なぜいきなり指揮者なんですか!?(笑)

もともと自分が音楽をやっていたのもありますし、そんなにつながっていない話ではありません。これまでやってきたインプロはあくまで手段であって、その背後にあったのは「なんで学ぶことが辛いんだろう?」「なんでみんなで一緒に仕事をすることが辛いんだろう?」という問題意識なんです。人が学ぶのは楽しいときだし、一緒に何かやっているときだし、体を動かしているときだと思うんです。ところが、企業のような近代的な組織は、制度疲労によって固まり息苦しくなってきている。そこで、インプロを使ってある種の”毒”を入れることによって、ほぐしてきたわけです。

そういうことが必要な領域は、周りを見渡せば企業以外にもいくらでもあって、僕の一番近くにあったのは「音楽教育」でした。ピアノを習ったことがある人ならわかると思いますが、なぜ日本でピアノ教育はあんなに厳しいのか。あんなに楽しくないのか。吹奏楽なんて、軍隊式で指導しますよね。

そういう現状に、今まで自分がインプロでずっと考えてきたことが接続できれば、もっと面白いことが起きるんじゃないかと思ってるんです。今までは一生懸命辛い思いをして練習しないと質の高い演奏は出来るようにならないと言われてきたけど、学習論や組織論で議論されているような知見を持ち込むことが出来れば、音楽教育はもっと面白くなる。僕は音楽性では日本一とか世界一の指揮者にはなれないかもしれないけど、組織論や学習論を活用してオーケストラを変えようと思っている人は他に居ないと思うんですよ。そこなら、一位になれる可能性がある。

たまたま東京学芸大の同僚に音楽の先生がいて、その先生が共著で本を書かないかと言って下さってるんです。まだ始まったばかりのことなのでどうなるかわかりませんし、ピアノももう一回習い始めなきゃいけないけれど、そうやってよくわからない「雲」をこの先もずっと追いかけ続けていたいと思いますね。

関連URL

即興実験学校
http://improlabo.org/

座・高円寺
http://za-koenji.jp/

Home > 高尾 隆:実践の質を追求する、新しい研究のスタイル。

top

© 2016 研究者の仕事術. All Rights Reserved.