研究者の仕事術

実践と研究の両輪を回す実践的研究者の仕事のつくり方

あなたの理論は、現場の役に立ちますか?

miyake

三宅 なほみ

東京大学大学院教育学研究科 教授
大学発教育支援コンソーシアム推進機構 副機構長

研究テーマ:学習科学・認知科学

プロフィール詳細
1972年 お茶の水女子大学文教育学部卒業 1982年 カリフォルニア大学サンディエゴ校心理学科博士課程修了 1984年 青山学院女子短期大学助教授 1991年 中京大学情報理工学部教授 2008年 東京大学大学院教育学研究科教授 http://coref.u-tokyo.ac.jp/nmiyake/profile/

師から学んだ、研究と現場を結びつける重要性。(1972年〜)

Q:いつ頃から研究者になろうと考えられたのですか?

学部生の頃は研究者になることは考えていませんでしたね。私はすごく成長の遅い子だったんですよ。親もこのまま社会に出したらまずいと考えていたらしく、それも修士課程に進学した理由の一つです(笑)。

修士課程では英語教育について研究していました。そこで東洋先生(※)の日米の共同研究プロジェクトに参加させていただき、第一線で活躍される教育心理学者たちの後ろ姿を見ながら仕事に取り組んでいました。本当に人手が足りなくて、語彙テストの翻訳や議事録の作成など、責任ある仕事まで任されて大変でしたが、そこで事務のやり方とか研究費の取り方について学びましたね。このプロジェクトは、日本の人文社会系研究で、ちゃんと日本で研究費を取って、海外と対等に国際比較研究をしたはじめてのプロジェクトでした。教育・学習領域の実験理論系、現場志向系、発達系などさまざまな視点を大事にする学際領域的な研究者が集まっていて、そこで色んな研究者がコラボしながら仕事を進めてゆく過程に参加できる貴重な経験をすることができました。そこで研究者の卵になる訓練をしてもらったんだろうと思うと、ラッキーでしたね。

※東洋(あずま ひろし):日本の心理学者。Ph.D(イリノイ大学・1960年)。専門は、多岐にわたり日本における教育心理学・発達心理学・教育工学の分野で多大な功績をあげている。

Q: 研究のスタイルについて、師匠の東洋先生から影響を受けたことはありますか。

東先生は「学校の中で実践者に使ってもらえる研究をする、自分の研究成果で先生たちの手助けができる」ということをとても大事にされていました。私が院生だった頃、そういうお話を色々と伺って影響を受けているところはあると思いますね。

東先生は、戦後アメリカで日本の研究を推進する研究者養成の助成対象者に選ばれて2年ほどアメリカにいらしていました。当時アメリカでは「”教育”心理学」とか「”交通”心理学」とかのように「なんとか心理学」をやっている人は一流の研究者ではなくて、純粋な「心理学」をやっているのが一流の研究者である、という風潮が強かったそうです。それをご覧になって、教育の研究をするのであれば、研究と教育現場での実践が結びつけなければならないと考えられたんですね。日本に帰られた後、実践現場とつないだ教育心理学研究をするために、アメリカにもまだない実践的な教育研究ができる大学部局を作りたいという想いを持っていらっしゃったと思います。その後、教育工学の土台作りをされたり、いろいろとご尽力されていらっしゃいました。

人のかしこさを追求する「認知科学」との出会い。(1974年〜)

Q: アメリカ・サンディエゴに留学されて博論を執筆されていますが、留学中にはどのような経験をされたのですか。

留学先は、アメリカで初めて「認知科学」という新しい研究領域を作ろうとしている4拠点のうちの1つで、そこでは「学習とはなにか」を研究していました。私は「心理学」を研究しているところを選んだはずだったんですけど、たまたまそこが「心理学よ、さようなら」というところだったんですね。つまり、心理学で扱うような「頭の中に何がどうあるか」ではなくて、「頭の中にあるものをどう出せるか、どうアウトプットするか」ということを研究していました。たとえば、サンディエゴの海岸ではジャグリングの芸でお金を稼いでいる人たちがたくさんいます。彼らがいつ頃からジャグリングを練習し始めて、何年ぐらいでどれくらいのことをできるようになり、お金がとれるようになるのか。それを心理学で説明できないのはおかしい、と考える研究者たちが集まっていたんです。研究室では研究者たちが実際にどうやったらジャグリングができるようになるか自分で試してみていて、皆さんジャグリングとフリスビーと一輪車に乗るのがすごくうまかったんですよ(笑)。

Q: 研究者たちがジャグリングをしながら「これを説明できないのは研究ではない」という状況は面白いですね(笑)。

はい。スキルゼロの状態から、どういうプロセスを経てお金がとれるようになるまで学んでいくのかを解明しようとしていました。たとえば、ジャグリングとフリスビーと一輪車の中でそのプロセスに共通点が出てきたら1つのラーニングセオリーができるということですよね。結局、その3つから共通点を見いだすのは難しいということで諦めたのか、タイピングのエキスパートのスキルに着目することになりました。

Q: 実験室の限られた条件で作る理論ではなく、応用場面での人のかしこさを追求されていたんですね。

理論を理論で終わらせない、現実に人間ができることから理論を作るという意味では実践的な研究だったと思います。そのときの師匠のダン・ノーマン(※)は、外界をどうデザインしたら人間がエラーしなくなるかというインターフェイスのデザインを始めていましたしね。具体的なデザインの例でいうと、例えば「押したら開くドアなら、取っ手を押すことしかできない形に(板状のものを張るだけにするとか)する」、「大きな広間の天井蛍光灯のスイッチの配列を、どれを押したら天井のどこの蛍光灯がつくのか直感的に分かるようにするなら、スイッチ自体も2次元平面上に天井と対応する形で配列した方がいい」というようなことですね。

認知科学のベースは、普通の人であれば普通にやれてしまうことが、どうやってできているのかを明らかにしていくことです。それを解明することで、人はどのくらいかしこいか、人はいかにしてかしこくなるのか、に迫ろうという研究領域なんです。リアルな人間がリアルにやっていることに注目し、実験室でやっていることはリアルでない、という流れの中にいましたね。

※ダン・ノーマン:ドナルド・ノーマン。アメリカ合衆国の認知科学者、認知工学者。カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授。『誰のためのデザイン?』で人間中心設計のアプローチを提示し、ヒューマン・インターフェイスやユーザビリティに多大な貢献を果たした。(Wikipedia)

Q:ダン・ノーマンのラボでの研究活動は先生の研究内容にどう影響したのですか。

院生の頃、認知科学の中で「状況論」という外界とのインタラクションが大事という議論がでてきて、「インタラクション」という言葉がキーワードになっていました。 当時、私は人がものを理解していく過程を明らかにする研究をしたいと思っていたのですが、色んな人に問題を解かせて「何を考えているか話してください」と言うと、一番大切なところで黙ってしまうんです。だったら、2人ペアで問題を解かせたら、お互いに考えていることを説明しながら取り組むだろうと考えて、対話による問題解決を研究の方法論として取り入れたんです。ところが分析してみたらその過程が想像以上に面白くて、問題解決や理解過程におけるインタラクションがそのまま研究テーマになってしまいました。インタラクション流行のはしりということもあって、 ダン・ノーマンも面白いんじゃないの?とおっしゃってくれました。

Q: 三宅先生の博士論文はどのような環境で執筆されたのでしょうか。

ダン・ノーマンのラボには先生が3人いて、それぞれ自分の学生を持っているんですけど、週1回のリサーチミーティングではその学生が全員出てきて、そこで色んな人と議論ができました。博論には5人のコミッティーをつけるんですが、その5人全員が「この研究は面白いね」と言ってくれる人たちを集めるのは普通は難しいのだけれど、私自身はとても運がよくて、全員がそれぞれに異なる視点で「これは、面白くなるかもね」と言ってくれる人たちを集めることができました。大体の場合、2人がメインで残りの3人はお客様みたいになってしまうことが多いんですけれど、私の場合は5人それぞれが面白い視点を下さって助かりましたね。コミッティーの内の1人はマイケル・コールという文化心理学者だったんですが、彼からは「あなたは将来、教育現場に戻って実践的な協調場面の研究をやっていくでしょうね」と予言をされました。そのときは What are you talking about?みたいな感じでしたけど(笑)、2年後くらいには、インターカルチュラルラーニングネットワークっていう最先端のネットワークを使って学校教育現場の支援をしようっていうプロジェクトを実際にやっているから、不思議なものですね。

現場の視点からプロジェクトをつくる。(1984年〜)

Q:インターカルチュラルラーニングネットワークとはどのようなプロジェクトだったのですか。

このプロジェクトは簡単に言うと問題解決スキルを教えることが目的でした。カリフォルニア州の小学校で実践をしていたんですが、カリフォルニアは基本的に砂漠ですから、コロラド川をまたいで水をとってくるんですね。コロラド州となんらかのもめ事が起きて水を止められたりしたら大変ですから、これはとても切実なことだったんです。だけど、今はパイプを引いてしまって潤沢に水が流れてくるから、理科のテーマで水がどれだけ大事かという話をしても子どもは全く実感がない。そこでカリフォルニア州の子どもたちに、「どうやって水確保問題を解決しているか」という課題を与えて、議論をさせるんですけれど、その時に、自分たちの状況だけではなくて、他の所はどうなのか、情報をもらって、比べて考えて「水」確保の大切さを子どもたち自身が見つけられるようにしよう、ということをしました。隣の州からパイプで引いているということだけでなく、イスラエルではどうしているか?とか、アラスカのような冬に水が凍結する地域ではどうしているか?などの情報をお互いに交換して集めることで、水確保問題が本来持っている大切さと、その思いもよらない集め方を思いつけるだろう、という目論み。こういう多視点を持ち込んでそれをまとめて考える、という手法を教室に持ち込んでみました。今でいう、「協調的問題解決(collaborative problem solving)」ですね。

Q: 子どもたちが課題について実感を持って考えるということですね。

子どもたちに与える課題を面白くしようという議論は随分しましたね。「飲み水はどこから来るか?」とか「お月様の表面には何が見える?」という課題を与えていろいろと実践しました。当時は、子どもたちにネットワークを介して情報交換させて協調的に問題解決をし、問題解決能力を高める、なんていうとんでもないことも考えている人はまだ誰もいなくて、研究としてオリジナリティを認められて研究費をいただきました。でも、現場を見ている私たちからしたらこれはアタリマエのことで、きちんとした研究成果が必ず出るだろうという感覚がありました。絶対に子どもたちの課題解決能力が高まっているはずだから、もし良いデータが得られないなら課題や実験の仕方が悪いということ。良いデータか得られるまで課題を変えてやりましょうと一生懸命でしたね。

やってみて気がついたことのひとつとして、それまで「国際教育」というと Hello, how are you? みたいな自己紹介とかプレゼンは多かったけれど、これでは教師がもたないということに早々に気がついたんですね。子どもは毎年新しい子が取り組むから、毎年面白がってくれるけど、教師が3回やると飽きちゃう(笑)。現場の先生を飽きさせたら研究は続きません。そこで、現場の先生たちと一緒に議論をしながら面白い課題を考えていました。インターカルチュラルネットワークの話は『インターネットの子どもたち』という本にまとめました。この本を読んで、学校の中でネットワークを使ってみようかなと思ったという先生方は随分いたみたいで、そういう意味では良かったと思います。

Q:実践的なプロジェクトをもとにして本をまとめられたのですね。

インターカルチュラルラーニングネットワークは、青山学院女子短期大学に勤めていた頃のゼミ学生も加わっていたので、私自身、研究をしたのか、教育をしたのか、実践をしたのか、そこにあまり差がなかったですね。それは、教育や人のかしこさ、わかっていく過程を解き明かす認知科学が研究テーマであるというラッキーさがあるのかもしれません。認知科学者としては、どこで誰が何について考えていても、例えば、大学の教授会が3時間もめちゃっても、「なんでこんな問題でもめちゃうんだろう?」って人の発言をメモしたりして十分楽しめちゃう、みたいなね(笑)。

研究と教育がつながる授業をつくる。(1984年〜)

Q:青山学院女子短期大学に就職されて、どのような授業を担当されていたのですか?

ひとつは、英語教育としてネットワークを使った国際理解ゼミをやっていました。インターカルチュラルネットワークの経験で、課題設定が大事であるということがわかっていたので、どんな課題を与えたら、学生たちの英語レベルで短大の1年半で英語力もついて、自分で問いを立てて卒論が書けるようになるか、ということが全部私の研究テーマでした。英語を使う目的と、伝えたいことがあるという状況を作って環境を与えれば英語のレベルも向上するという確信がありました。でも、大学の授業って何をすれば良いんだろうと悩んでいた時期は長かったと思いますね。

Q:「人のかしこさ」を研究するということは、教育と研究とが全部つながるのですね。

はい。全部つながってくるんですね。そして、そのどこかで必ず問題解決ということが関係してくる。問いを問う、解き方を考える、解いてみる、自分も思いもよらなかったような解に到達して驚いて「問題解くのって面白いな、私も結構やるじゃない」と思えるようになる。ずっと私はそのプロセスに関心があるんだと思います。多分、私自身がそれをあまりうまくできないから、人を使って研究しようってことかもしれないわね(笑)。

青山学院女子短期大学にいる間に、何をやれば学生たちのかしこさを引き出せるだろうと考えて、学生たちに色んなことを聞いては発話データをとらせてもらって、教えてもらうことがたくさんありました。いつだったか「10年後、同窓会の誘いが来たとき、あなたがどういう生活をしていたらハッピーな気持ちで同窓会に行けると思う?」っていう随分えぐい質問をしてみたことがあるんです(笑)。するとね、「スチュワーデスになって、商社マンと結婚して、田園調布に住んで、まず女の子を産んで、2つ違いで男の子が産みたい」とか言って、きゃっきゃっていう感じなのよ(笑)。一番驚いた答えはね、カルチャースクールでまだ学生をやっているって言うの。だから「カルチャースクールで先生はやらないの?」って聞いてみたら、「そんなしんどいことをやりたいわけないじゃないですか」と言われて。それが彼女たちが「教える」という仕事をどう見ているのかの本音だと思いました。教えてもらえている間はそれなりに優等生でいられるから、教える側に回るなんて責任が重くてリスキーなことは出来ませんってことなんでしょうね。そんなやりとりをした後「その頃、親はいくつになってる?」とか質問していくと、彼女たちもだんだん気付いていくのよね。「10年後ってことは子どもがいくつで、中学高校お弁当作りで、大学に入れても自分の親も私たちのこと心配してるくらいだから、私たちもまだまだ子どものことが心配だろうし、それが終わったら今度は親が倒れるのか…」って(笑)。それに気が付いて「三宅先生、どうしたらいい?」って泣きついて聞いてくるので、「もうちょっとはやく自立すれば?」って答えましたけど、それを「教育心理学」と称して教えていたんだから変な話よね(笑)。

Q:教育心理学を教えることをとおして人生を教えていらした、と。

そうですね。たとえば心理学を教える立場としては、大学に入ってすぐの短大生たちに「あなたたちが勉強してきたことのモティベーションって何でした?」ということを考える授業をしました。私たちの時代の教育心理学には、モティベーションの高い子がよく学ぶという信念があったと思います。とにかく知的好奇心をどう身につけるかが大事という議論が多くされていました。基本的に内発的にモティベーションがついているときに邪魔をしなければそのままうまくいくといわれています。でもどこかで自分の内発的なモティベーションが外発的なモティベーションにすり替えられていく。そうすると、外発的なモティベーションを外した時に元々内発的だったモティベーションも落ちてしまうという実験結果があるわけです。そういう話をしていくと、学生たちが「今までは大学に入るために一生懸命勉強してきたけど、点数をとって大学に入ることが自分のモティベーションだったのなら、そりゃあここで私は勉強しなくなるわ」って気付くんですね。そこから「就職するまで頑張ろう」とか「やっぱり自分が本当に好きなことを見つけよう」とか、そんな風に自分たちのモティベーションの作り方を自分たちで引き受けるようにしていくことが、まず私が彼らと共有できる心理学のひとつの知見だろうなあと思いました。それをわかってもらうにはどうしたらいいかなあって思いながら最初のうちは一生懸命講義をしていました。

研究とリアリティの壁を感じた挫折経験。(1991年〜)

Q:研究知見を学生たちが日常の常識として使うことを目指されていたのですね。

そう、それが私の仕事だと思っていました。そうしているうちに、あるとき、本当にこれは結構大変らしいことに気がついたんです。授業が終わり、自分の研究室で仕事をしていたら、学生さんがほとんど泣きながら訪ねてきました。何かと思ったら、さっきのモティベーションの話を聞いて、彼女はいま、どうして自分がうつ状態なのかわかったから、もう何も学ぶモティベーションはないので実家に帰りたいというご相談でした。それを聞いて、あのモティベーションの話はここまである意味人をリフレクティブにさせて傷つけるのか、と思ったんですね。本人も触りたくないし、当然私が入っていってわしづかみに触れるべきではないところを、授業という形をとおして触ってしまう怖さみたいなものを感じました。結局、その人とは卒業してからもずっと付き合いが続きましたね。 そのとき、心理学は恐ろしい学問だという気もした。心理学でわかっている知見を「こんなこと知ってると面白いでしょ?」と教えたときに「心理学って人が悪いですね」とか「どうして心理学って人の嫌な面ばかり暴くんですか」って言われたりもして。そういわれてみると確かにそうかもしれない、と学生たちから教わりました。

Q:ご自身も教えながら学ばれていたということでしょうか。

そうですね。その頃、「ゲド戦記」の翻訳者であり、青山学院女子短期大学の同僚で児童文学を教えていた清水真砂子さんと仲良くなって彼女のゼミに顔を出すようになったんです。そこで、清水さんが児童文学を教えていることの中に、私が教育心理学者として教えたいことがほとんど入っていることに気がつきました。しかも、心理学のダークな面より、むしろブライトな面に焦点を当てて教えていらしたんですね。例えば、「この絵本って、大人から見たら信じられないけれど子どもはすごく喜ぶんだよね。なぜかというと、・・・だから、自分に勇気を持つのよ。」みたいなね。で、その「・・・」のところに、心理学の知識が入っている。それを見て、文学でこれができるんだったら教育心理学は廃業しようかと思いました。

教育心理学では1つの実験から無理矢理ものを言ってしまうんですね。 例えば、「子どもが絵を描くのを好きでした。ご褒美をたくさんあげたらたくさん絵をかくようになりました。ご褒美をあげるのをやめたら絵を描かなくなりました。」という、その1つの事例だけで、大学生が大学を辞めようかっていうところまでいってしまう。 教育心理学の一種の狭さを感じたんですね。「外発的動機付けによって内発的動機付けが減衰する」ということを、研究としてあからさまな実験状況で切り取って、論文で有意差を出して見せたところで何になるんだろう?と思いました。その結果を普通の大学生に見せても「絵が描けなくなって何がまずいの、ほっといたらまた描くでしょう?」って感じですよね(笑)。そういうリアリティを無視して、実験の知見だけ伝えるのは嘘なんじゃないか?という思いがあって、ジレンマを感じましたね。

教え方についても、私の教え方は間違っていると思いました。私が一方的に学生に対してしゃべって教えてもしょうがないわ、って。清水さんは、文学作品を読ませ、それについて語らせ、作者を呼んできて、作者はどんなことを思って書いているのかをみんなで話し合っていく中で学生たちが自分自身を内省し、自分に気付くようなゼミをやっていらした。文学ってそういう風に扱うものなのね、と思ったの。ちょっと困ったなって思いましたね、私はこの先どう教えていったら良いんだろうって。

Q:ご自分の研究領域に対して葛藤を感じられたんですね。

私が本当に知りたいサイコロジカル「リアリティ」と、それまで研究として習ってきたお作法に差があるのではないかと思うようになりました。正しいお作法で書いた論文の数が増えたところで、私は本当にかしこくなれるのだろうか?と考えるようになり、もう挫折の連続でしたね。

清水さんもよく相談に乗ってくださいました。その頃、彼女は地元の家を改装して地域の人たちとブッククラブをつくり、本を読みなおす活動をしていてそれがとても面白いと話してくれたの。でも、その面白さが私には十分にわからなかったんですね。「どうして研究者としてこれだけ国際的に活躍し知的作業ができる人が、普通の地域の人たちに話をして面白いんだろう」と思う自分と、でも、「清水さんはこういう実践をされているから面白い授業が出きるんじゃないか」と思う自分がいました。 その頃はずっと自分自身の教え方について悩んでいた時期でしたね。

Q:その後、教え方を変えていかれたのですか。

青山学院女子短期大学の後、日本の心理学の柱を作られた1人である戸田正直さんに声をかけて頂いて、中京大学で「認知科学科」を作るお手伝いをしました。日本で初めて認知科学を教える学科を作るので、文科省にも何の指針もなくて大変でしたが、大学のフロアプランからカリキュラム作りまで全部任せていただいて、教育現場を作る実践経験になりました。

認知科学科で何年か教えてみて、いろいろと気付くことがありました。まず、認知科学で教えている内容って、そう大したことではないのよ(笑)。人に関する常識の知識みたいなものなんですね。認知科学の知見を知って、少しはマシな親になるとか、少しはマシなインターフェイスデザイナーになるとか、そう貢献できたら良いなと思いました。 だから「認知科学一億常識化」を旗印にするようになりました。 認知科学科に入ってきた大学一年生が認知科学を常識として扱えるようになるまでどうすれば良いか、それが自分の研究テーマであり研究フィールドになっていった感じです。 こう話してみると、実践と研究とをどこで区別しているのか全然わからないですね(笑)。

教え方についても、私が講義をするのではなく、こちらが説明する資料を全部学生たちに渡してしまって、学生が説明し合う演習型の授業に変えていきました。私が知っている研究知見を学生たちと一緒に考えていく中で、どうやったら学生たちがかしこくなっていくお手伝いができるか、実際にかしこくなれるのか、そういうことがテーマになっていきましたね。

Q:研究知見を自分自身が実践して確かめていうことでしょうか。

サンディエゴ留学時代にお世話になったダン・ノーマンも、マイケル・コールも、元々は短期記憶やネズミで実験をするようないわゆるピュア実験心理学者だったんです。でも、次第にピュア心理学に疑問を持つようになって、みんなで変えようとしていました。ピュア実験心理学から離れて、ダン・ノーマンはモノのデザインという方向に行き、マイケル・コールはチャータースクールを作って全米一位に効果の挙がる学校にしてきました。彼らを見ていると、私自身は何かを変えた気はしていないのよ。ずーっと同じことが知りたいんだけど、最初は研究「しか」できなかった。学生を教えるようになってからは、せっかく学生という実践現場ができたので何か実践してみようとなり、学生の方から応援をもらいながら、学生に考えてもらう演習形式の授業の数を次第に増やしていきました。そうして中京大学で18年間かけて、知識構成型ジグソー法の理論を作り上げていくことになります。

現場に理論を普及させる仕組みをつくる。(2008年〜)

Q: 東京大学教育支援コンソーシアム推進機構(CoREF)に来られてからは、高校の先生を対象に、協調学習を授業に取り入れるための研修実践をされていますよね。

東大のコンソーシアムに来ていろんなワークショップをやっているうちに、毎回来てくださるリピーターの埼玉県の先生方と知り合って、一緒に授業を作ろうという話になりました。扱っている理論は、中京大学時代に作ってきた知識構成型ジグソー法を高校の先生が授業で使えるようによりわかりやすくし、理論とのつながりを強くしたものです。始めたときは20名ほどでしたけれど、今は、きちんと数えられないのですけれど700名程度の高校の先生方と一緒に授業の作り方の研修をしていて、先生方が生徒の学びの思いがけない姿をひきだしてくださったりするのを観察して、色々とフィードバックをもらいながらやっています。その研修を始めて2年目に、研修を受けた先生から「三宅先生たちのチームって本当に研修うまくなりましたね」って言われて、それがすごく嬉しかったのを覚えていますよ(笑)。私たち自身が学んでるんだと思うわね。

今年は3年目で、埼玉県の中核事業だけでも、最初6校だったのが、2年目に27校、三年目には60校を超えました。3年目には初任の先生方への法定研修の一部もお引き受けしているので、そこだけで250名を超える先生方と一緒に授業作りをしています。3年目にもなると、参加する先生たちが勘所をつかんできてくれて、最初は私たちが一生懸命説明していたことを彼らが自分の体験をとおして話せるようになってきたんです。その先生方が、初任者の研修に出て来て下さって、「これ難しいよね」とか、「自分はこうやってるよ」とかって助言して下さっているのを伺っていると、私自身の出番はもう無くなってもいいな、と思えるようになりました。先生たちは先生たち同士で直接話した方が、仲間だから伝わるんですよね。

Q:三宅先生が直接理論を教えるのではなく、理論を学んだ実践家が実践を広めるという方向に転換していったのですね。

私が直接やるのではなくて、実践現場を持っている人たちを間に挟んで、その人たちがまたその先に渡していくというのをやっていかないとスケールアップしないということに気がつきました。コンソーシアムにくる前、大学で教えていたときには、自分が実践の場を持って実践していなければと思っていたですが、あれは今思うと間違いだったと思いますね。当時は自分の研究のアルファサイトとして授業を持って、そこで研究知見について一緒に考えて少しでも常識として認知科学を知ってもらえれば良いと思っていたんです。だから、ほかの先生たちから私がやっているやり方をやってみたいと言われたらカリキュラムをあげていたんですけれど、実際に渡しても使いこなせないんですよね。

コンソーシアムに来てからは、そこからは足をあらって、より広く現場に普及させる仕組みを作ろうという気になりました。それによって自分がやっていることのリフレクションは前よりずっとシビアになりましたね。実践しながら理論をつくり、現場に研究知見を持ち帰ることが研究者の仕事なのであれば、それと同じことを現場の先生たちにもやってもらえば良いと思いました。研究者の私が一生懸命理論を説明して頭でっかちになってもらってもしょうがないんですよね。できるだけ速く、実践家に実践してもらって、実際に子どもが学ぶ様子を見てそこから考えてもらうというのが一番良いはずでしょ。今、ようやく全国で500人以上の先生たちが私たちの研修を受けてくれたというところまできました。どんなに実践のケースが増えても、使っている理論は35年前くらいにやった博士論文のままなんですけれどね(笑)。

また、最近は、理論自体はそのままで、ロボットをいれたジグソー法というのをやっています。私としては、ロボット(通称:ロボビー)を小学生の協調学習場面に入れても学びあいは必ず起きるという確信があり、実際に実践後の学習成果はきちんとあがっていました。でも私にしてみると、この実践をすれば結果がでて当然で、でなかったら実践の方法が悪いんですよ。「やっぱり出たか」という感じではあって、そこまで来ると私は満足してしまうので、だから論文にはならないんですよね(笑)。この実践を論文にするためには、またスキルや時間がものすごくかかります。論文化するよりも、ロボビーがもっと活躍できる実践の場はないかっていうことを考えたくて、どんどん新しいことを始めたりするので忙しくて仕方ありません。ロボビーの研究を一緒にやっている石黒浩さん(大阪大学教授)には「三宅さんやっぱすごいよ、ずーっと同じことしかやってないけど、それでもってるのがすごい」って言われましたね。確かに、理論は博論のままだし、まあ、これも褒めてもらったことにしましょう(笑)。

リアリティをつかんだ理論づくりを目指してほしい。

Q:若手研究者たちにアドバイスをお願いします。

アドバイスというよりお願いになりますが、「あなたの理論は、現場の役に立ちますか?」ということを考え続けて欲しいですね。理論が理論であるためには、”真実”ではないかもしれないけど、現場への適応範囲が広い必要がある。もしあなたの理論が現場のリアリティをつかんでいて、実践者をかしこくするものであれば、その理論は強い理論です。ぜひそのまま研究を進めて下さい。

理論を大切にしながらも、理論を現場に持ち込んで、役立てながら理論を改善していく。そうやって理論を「育てる」ことで、その理論は長く生き残る理論になります。私自身が持っている理論は、博士論文の理論しかないけれど、これまでの様々な実践を通してずいぶん理論が育ってきた気がしますね。

もちろん、理論を使ってくれる現場を探すのは難しいことです。けれども、もし本当にあなたの理論が人間のリアリティをつかんでいて、現場に適応できるものであるならば、いずれ名乗りを上げる実践者が現れるでしょう。そういう人は仲間になって頂いておくと得ですし、どのような現場であっても、文句を言わずに当面は喜ぶことが大事です(笑)。

Q: 理論研究者は、同時に工学者でもあるべきだと?

そう思います。「この理論は現場に戻して使えるかなあ、ここに実際に橋は建つかなあ」と自分の理論を絶えずチェックするのを忘れないでほしいです。どんなに面白い理論でも、それが再現性の無い特殊な一事例から作られ、他の状況で再現できないということは、適応範囲の狭い弱い理論であることを意味します。 橋をつくるための原理というのは実際に橋が建つまでは通用しないわけです。やっぱり橋は建ててみないと分からない。たとえそこで橋が落ちてしまっても、落ちたことによって理論が良くなるわけですよね。理論に完成はなく、常に未完成だと思っています。適応範囲についての”取り扱い注意”付きの理論を提案することが、研究者が出せるベストですよね。それを公開し、現場に提案することで、別の人がもう少しマシな理論に育ててくれる可能性もある。そういう意味で、あたかも理論を完成したかのように見せる論文は、よくないかもしれないとも思います。

Q: 論文という形式には、1つの結論があり、明確な結果を出すことが求められますね。

実験をやって有意差が出れば論文にすることはできます。でも、有意差を出すことが完成形の証ではないし、あなたが追いかけているものが本物の使える理論であれば、有意差が出るのは当たり前かもしれない。統制群の方にリアリティと合わないものをもってきさえすれば、差は出るんですもの。でも、有意差は必ずしも理論を強くしない。一回大きな有意差が出るよりは、何度やっても一定の傾向が出る研究の方がリアリティを捉えている可能性がずっと大きいです。

特に人間に関する研究領域においては、ポジティブケースの数を増やし、共通点を探ることで理論の抽象度をあげるという新しい研究の方法があると思うんです。「このケースでうまくいきました。あっちのケースでもうまくいきました。じゃあ、両方のケースでうまくいっているところってなに?」という感じで。理論は、適応する場面によってその使われ方が変わっていくものですから、様々なケースのデータを沢山集めることで抽象度をあげていくことしかできない。ケースの数が十分あって、抽象度がある程度あがれば、十分に役に立つ理論ができてきます。人間を相手にした実践は、一回しかできません。それだけでも、物理学が依拠しているようないわゆる「客観科学」とは性質が違います。だから、新しい科学をこれから作って行く必要があるでしょうね。

私が取り組んでいる学習科学の領域では、擬似的な実験をしたり有意差を出したりして点数を稼がなくても良い世界にしたい。論文は書くのだけれど、ポジティブケースとデータをみんなが提供しあって、ギャラリーや協力者を募りながらみんなで理論を育てていければ良いですよね。

Q:自分の研究を参照してくれるギャラリーや協力者の存在が大事ですね。

何かを作ったら、それを実際に見たり使ったりしてくれるユーザーがいるかどうかは勝負ですよね。今回の「研究者の仕事術」のインタビューも、こうして記事を公開して下されば、何人かの方が読んでくださり、議論をしたり、何かに役立てて下さったりするのでしょう。やっぱり、そこがリアリティなんだと思います。ウェブメディアを活用したこういう仕事ができるところは、皆さん若い世代の本当にすごいところだと思います。なので、是非発信していただけると嬉しいし、こうしてインタビューに来ていただいたことに本当に感謝いたします。

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