研究者の仕事術

実践と研究の両輪を回す実践的研究者の仕事のつくり方

“日本の大学”が消滅する未来−知的創造の場を目指して

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菅谷 明子

在米ジャーナリスト
Nieman Fellow at Harvard '12

研究テーマ:メディアと市民社会・ジャーナリズム
Twitter:@AkikoSugaya

プロフィール詳細
在米ジャーナリスト。 米ニュース雑誌「ニューズウイーク」日本版スタッフ、経済産業研究所(RIETI)研究員などを経て、現職。メディアと市民社会のあり方をテーマに取材・執筆活動を行う。2011年から2012年まで、ハーバード大学ニーマンフェローとして、ソーシャルメディア時代のジャーナリズムについて研究活動を行う。コロンビア大学大学院修士課程修了、東京大学情報学環博士課程単位取得退学。著書に「メディア・リテラシー」「未来をつくる図書館」現在「ジャーナリズム・イノベーション」執筆中(すべて岩波新書)。 Blog: Harvard Square Journal  http://blog.goo.ne.jp/akikojournal

事務作業に追われ、授業や研究に余裕をなくす教員。

Q:このサイトでは、研究者に仕事術をお聞きしていますが、今回は「番外編」として、ハーバードやMIT(マサチューセッツ工科大学)が拠点を置く、ボストンの大学街に10年ほど住まわれ、また、自らも大学院で学ばれるなど、アメリカの大学教員達の仕事術を間近で見られてきたご経験から、お話を伺いたいと思います。まずは、海外から見て、今の日本の大学の課題はなんでしょうか。

このインタビューでは、私が身近でよく知る、ハーバードやMITなどを例に話すことになりますが、こうしたトップ大学にも、様々な問題が存在します。ただ、日本のトップ大学では、改善すべき点が、さらに多くあるように思えます。そのひとつが、徹底的な知的探求を奨励する、学習環境の欠如です。勿論、日本にも優秀な方々が多々存在していますが、テーマを深め、意義あるフィードバックをもらい、多角的な視点から物事を捉える学びのあり方が、まだまだ足りないように思えます。良い原石があるのに、それを磨き上げる場が十分でない、というような。

また、大学関係者の多くが、解決すべき課題を認識しているにも拘らず、政治的理由などが優先し、解決が先送りになってしまいがちです。これは、大学だけにとどまらず、日本の多くの組織が抱えている問題と根本は同じであり、大学の問題は、日本の縮図であるように思えます。

大学の貴重な財産のひとつは教員ですが、その力を引き出し、育てていくための支援というのが、かなり、ないがしろにされているように思えます。まず挙げられるのは、資源配分の効率の悪さです。つまり、本来、教員が最も時間を費やすべき授業の準備や研究活動に、十分な時間が取れていない。アメリカであれば、事務作業や雑用は、専属スタッフが対応してくれますが、日本ではこうしたサポートが、大学の基本インフラであるとの認識が乏しく、一部を除いて、教員自らが引き受けざるを得ないケースが多い気がします。そして、それらに時間を取られるあまり、本来の研究に費やす時間的余裕や、精神的な意欲もなくしているという、本末転倒の状態にあると思います。こうした状況では、教員たちの知的探求の気持ちが薄らいでしまうのも当然のように思いますし、学生の良きロールモデルにもなり得ていないと思います。アメリカの大学は、教員をサポートする専属スタッフがいるのはもとより、学生が学内で、教員のアシスタントなどとして、雇用されているケースも多いです。学生にしてみれば、学内での仕事は、「通勤」する必要もなく、また研究との接点なども見いだしやすく、両者にとってのメリットも大きいと思います。

▼ ハーバード大学の重厚で落ち着いたキャンパス

Q:米国大学では、専門性のある事務スタッフや学生RA(リサーチアシスタント)が活躍していると聞きます。特に、教員の研究時間の減少は重要な課題ですね。

そうですね。アメリカの大学では教員が研究に没頭できるように、時間的余裕を持つことも奨励しています。研究時間だけでなく、直接自分の研究とは関わりのないことに時間を使うことが許されているケースもあります。研究を深めたり、創造的な仕事をするためには、あえて別のことをする重要性が認識されているからです。大学や学部にもよりますが、教授職に就きながら、起業し会社を経営しているケースなども、珍しくないと思います。ただし、こうした「ゆとり」がある一方で、教授としての、生き残りの競争は日本とは比べ物にならないくらい厳しいです。アメリカで教職員として、正式に採用されるためには、テニュア(教職員の終身雇用資格)を取得しなければならず、そのためには、独創的な研究で高い業績が求められます。それに加えて、自分の研究費は自力で集めてこなければならないという厳しさもあり、資金集めは大事な仕事の一つです。自分で資金を集める為には、研究テーマが常に世に問われ、また、研究の意義や成果をアピールすることが、日常的に求められるという環境にあります。日本でも似ているかもしれませんが、こうした状況では、ファンドがもらいやすいテーマを設定しがちになるといった弊害もあると思いますが、その一方で、多くの洗礼を受けているだけに、米国の大学から斬新で意義ある研究が多く出てきているのも確かです。

▼ MITキャンパス内の一際目立つ建築、STATA CENTER

健全な議論と評価で自分をアップグレードし続ける。

Q: 大学で研究者が創造的な研究をする土台として、どのような働き方が可能かということは非常に重要なポイントですね。他にも日本の大学特有の課題はありますか?

もうひとつの課題は、日本の大学組織の年功序列の問題は、特に創造性が求められる時代には、日本で考えられている以上に弊害が大きいと思います。例えば、教員や学生が集まって議論をすべき場面でも、暗黙の上下関係があるため、教員や学生間の議論はなかなか建設的な方向に向かいません。私が日本に帰国した際に、会議などに出席すると、唖然とすることが多いのがこの点です。年齢や肩書き、教員か学生かではなく、価値あるアイディアが勝つというフェアで開かれた仕組みが必要です。この年功序列の問題が、どれだけの損失をもたらしているのか、もっと真剣に考えられるべきだと思います。過去に何度か、「うちはオープンなので、良い議論ができていますよ!」と誇る日本の先生のミーティングに参加させていただいたこともありますが、私から見れば、実際にはその先生が勝手にそう思い込んでいるだけで、水面下では、まさに、この上下関係の政治力が動いている場合が少なくありません。先生自身が「裸の王様」になっている場合は要注意です。更なる悪循環としては、学生の側も、こうした状況に慣れすぎて、「上の人」にチャレンジする気持ちさえも、失っているのも気になります。ただ、最近の若い方たちは、前の世代に比べて、社会のあり方について、真剣に考えている方が多いと思うので、大学とは別に、フラットな人間関係の場を作って、斬新なアイディアをどんどん磨いて行って欲しいです。

Q:議論において、「誰が」言うかよりも、「何を」言うかで評価されるフェアネスが大切ですね。

アメリカに知的階級が世界からどんどん集まって来るのは、個人のバックグラウンドではなく、知性やアイディアや専門性などの業績をもとに健全でオープンな競争が行われ、フェアに評価を得られるからです。勿論、アメリカでも、様々な差別があるのは事実です。ただ、それを差し引いても、やはり能力の評価に対しては、フェアな国だと思います。私も大学街に住んでいて、世界各国からやってくる人達と交流する機会も多いですが、彼らは、必ずしも、アメリカという国が好きだからここにいるとは限らず、むしろ、自分の能力を正当に評価されることを魅力として捉え、そうした土壌に身を置きたいという、それこそが、知識層を惹き付け続けている理由です。知のリーダー予備軍は、何より自分の能力を正当に評価してもらい、自分の力をさらに伸ばすことに貪欲なのです。

Q:日本の大学での「良い議論」とアメリカの大学での「良い議論」は違うもののようですね。

建設的な議論の技法の欠如というのも、日本の大学の大きな課題だと思います。日本で、議論というと、正しいか、正しくないかを熱く戦わせる場のように捉えられがちですが、必ずしもそうではありません。参加者がトピックに対して、あえて、異なる見方から疑問を投げかけたり、誰も気がつかなかった視点を提供したり、前提をひっくり返したり。大事なことは、本質的な問いを発することで、議論に貢献することです。単に褒めたり、同意しているだけでは、新しい世界は開けません。テーブルの上に置いてある、ふたつのブロックのうちのどちらが「正しいか」を争うのではなく、参加者ひとりずつが、新しいブロックのピースを出し、それが積み重なって行くというイメージです。先ほど話したように、日本の場合は、「偉い人」がいると、残りのメンバーは、それに賛同することが礼儀となり、なかなか議論が深まりません。アメリカでは、議論の出発点と、終わった後の着地点は大きく異なる場合が多く、いかに異なる視点を提供して、議論を豊かにするのか、という点こそが、まさに礼儀となります。日本の場合は、最初に出されたひとつのピースが、議論が終わった後にも同じようにテーブルに残っているような状態が多く、残念に思えます。

Q:授業の形式もアメリカと日本では違いがあると聞きます。

日本では先生が一方的に話す講義形式が主流ですが、確かに、アメリカにも大教室での講義型授業もありますが、その場合、少数のグループによるディスカッションの授業がセットになっていることも多いです。先生による講義だけではなく、ディスカッションが繰り返されることで、1つのテーマを、多角的に見られるような工夫がされているからです。ただ、それ以前に、日本の教員の中には、失礼ながら、コミュニケーション能力が高くない方も多い。「この先生は一体誰に向けて、何を伝えたくて、話しているのだろうか」と思わざるを得ないような、単に好きなことだけを話し、どう伝わっているのかまで考えていない授業が多い気がします。また、毎年同じ授業を繰り返す教員もいらっしゃると思います。アメリカの教員達の中には、まさに舞台に立つ俳優・女優のように、授業をストーリーに落とし込み、惹き付けるせりふを吐き、指揮者のように学生の意見を引き出して、ハーモニーを奏でさせる巧みな方も存在します。日本では「ハーバード白熱教室」のサンデル先生が、良く知られていると思いますが、サンデル先生に匹敵するような、コミュニケーション能力の高い先生は、実はたくさんいらっしゃいます。

▼ ハーバード大学の授業風景

Q:アメリカの教員が常に授業を工夫し続けるモチベーションはどこから来るのでしょう。

こうした先生の存在の背景のひとつに、評価が関係していると思います。例えば、アメリカの場合、学生が教員を評価できる機会が与えられ、その情報は大学側に届きますし、学生にも公開されています。私がコロンビア大学の大学院に行っていた15年以上前は、大学に授業の評価などをまとめたファイルがあり、授業を選ぶ際の参考になっていました。今では、ハーバードなどには、学生がオンラインで授業や先生の評価をチェックできるシステムもあります。学生は学ぶことに貪欲ですから、限られた大学生活を有意義にするために、授業のクオリティにもこだわるので、教員も常にアップグレードして成長していかなければ、サバイバルできないでしょう。評価は何も教員に限らず、例えば私が行く病院では、診察のたびに、数日後に評価用紙が送られて来て、医者の対応がどうだったのかを細かく問われ、それが将来、医者が患者にどう接するのか、というところに反映されてくるのです。つまり、「立場の弱い人間」の声にも耳を傾けることで、透明性を保ち、クオリティを高めているわけです。組織のあり方や、個人を変えることは非常に難しいですが、「評価」という軸を与えることで、良い方向に導くことも可能になるかもしれません。

フェアな評価によって自国の中にグローバルな世界を築く。

Q:その他に、日本の現状とは異なるアメリカの大学の特徴はありますか。

日本では、グローバルな環境で学ぼうとすると、「世界」に出て行く必要がありますが、アメリカの場合は、自国のなかに「グローバル」な世界を築いているという強みがあります。今更ですが、アメリカの大学でまず驚くのは、まさに世界中から様々な人が集まっているということです。国籍はもちろん、バックグラウンドもキャリアも多様。また、途上国出身者になればなるほど、その国を動かす、リーダー的存在が多いと思います。地方と都市部、大学の規模にもよりますが、例えば、ハーバードの場合は、2011年-12年度には、20%が米国外出身の学生で、その数は130カ国に渡り、それに加えて、米国内出身と言えども、マイノリティを含む、多様な人種のバックグラウンドを持つ学生を加えると、かなりバラエティに富んだ構成となります。ちなみに、東京大学の外国人留学生比率は7.6%(2009年時点)で、世界の有力大学に比べると低い水準となっています。

▼ 菅谷さんと同期の米国12名、その他各国12名のニーマンフェローたち。菅谷さんは最後列左から三人目。

先程も触れましたが、アメリカの大学に来る人は、必ずしもアメリカという国が好きで来ているとは限りません。ボストンであれば、MITやハーバードなどの大学が、世界の頭脳を引き寄せるのは、大学という知の創造の場においては、どんな背景を持った人でも、その能力をフェアに評価されるという土壌があり、それに惹かれているからです。学生が望むのは、自分が知的に成長できることに加えて、モチベーションが高く、志のある仲間と学び合えるコミュニティがあること。そして何より、明るく、開かれた雰囲気に満ちているところが、アメリカの大学が人を惹き付けて止まない理由だと思います。 勿論、細かく見ていけば、差別や偏見が全くないとは言えませんし、様々な問題も存在しますが、総合的にみて、やはり、魅力が上回るところだと思います。

キャンパス内でグラスを傾け、知的交流できる場を作る。

Q:授業以外に、大学でどんなことが行われているのでしょうか。

私がアメリカの大学に個人的に興味を惹かれるのは、学びというものが、かなり多角的に捉えられている点で、それが空間や場のつくり方に表れていることです。学習は、必ずしも教室内で行われ、先生から教わることで、起こるわけではありません。むしろ授業は単なるたたき台で、それを発展させてこその学びだと思います。そのような考えが表れている一例ですが、キャンパスには、多様なスピーカーがやってきて、そこで、個人では会うことが難しいような、学者はもとより、世界のリーダー、ビジネスマン、起業家、NPO関係者、時の人などと、対話する機会を与えてくれます。その数がありすぎるのが、学生にとっての悩みになっている程です。 実際に何かを成し遂げてきた人から、直接、話を聞くということは、教室とはまた違った次元の学びをもたらしてくれます。

Q:大学が、多様な他者との出会いの場や機会を提供しているのですね。

そうですね。さらに、空間の工夫としては、ラウンジと呼ばれるような、イスとテーブルだけを置いた、自由に使えるスペースがたくさんあります。これは、アメリカの大学は共同学習のスタイルが多いので、そのグループ作業のためだったりもするのですが、授業の感想を話し合ったり、自分のプロジェクトについて意見を求めたり、勿論、雑談にも使えます。大事なのは、教室以外の学びをサポートする空間があるということです。確かに、学外のカフェなどで話すことも可能なことですが、学内にあることで、テーマが自ずと研究のことになりやすく、また、授業が終わった直後や合間、あるいは、時間を気にせずに、いつでも自由に使えることも重要です。

Q:空間の工夫以外に、どんなしかけがありますか?

学びやコミュニケーションには、実は、食べ物が裏方として、大きな役割を果たしています。ハーバードやMITで開催される学内の講演やセミナーなどでは、飲食物を用意しているケースが多いです。例えば、朝8時くらいからのものであれば、コーヒーやペストリー、フルーツなど。各自が朝食を済ませてくるのを前提とするよりも、効率よく時間を使えますし、食べ物目当ての人に来てもらえるということで(笑)、参加を促すこともできます。ランチも同様で、授業の合間にもキャンパスでは、講演などが豊富に用意されていますが、行きたいけれど、自分の昼食とどう両立させるか、というのは悩ましいところです。でも食事がでたり、持ち込み可能であることが、それを解決してくれます。お金のある学科では、無料ランチを用意してくれるところもあります。それによって、交流の機会もできますし、何より時間を効率的に使えます。夜の講演の前にワインやオードブル、その後にバイキングスタイルの食事が出ることも多いですが、これは単に食べることが目的ではありません。せっかく同じテーマに関心を持って集まって来た参加者同士を、テーブルの前に引き寄せ、交流させるための仕掛けです。そして、そこには、新しい知やネットワークが生まれることへの期待があるのです。

▼ MITで開催されたワークショップにて。カフェコーナーにはペストリーとフルーツ。

Q:確かに、アメリカの大学でみたワークショップでは、必ずプロのケータリング業者によるカフェコーナーがありました。日本の研究会ではあまり見ない光景ですね。

日本ですと、講演会などの後は、自然にいくつかのグループが生まれて、居酒屋などに一緒に行ったりすることは多いと思います。ただ、移動があると、せっかく講演に関わることを話していたのに、歩いているうちに話題が変わったりということもありますよね。講演会場で食べ物や飲み物が用意されているメリットは、参加者の大半が皆で参加でき、移動の時間がないので、講演の興奮が強く残っていて、その議論を深めることができる点です。また、立食ですので、いろんな人と交わって話せますし、例えば面白い質問をした人がいれば、その人を見つけて、さらに話を聞くことも可能です。日本の場合、食事代は研究経費で落とせない場合が多いと聞いたことがありますが、価値ある「飲み食い」は存在するので、ケースバイケースで対応できたら良いと思います。

Q:カフェコーナーがコミュニケーションを生むキーになっているのですね。

ただし、アメリカの学生は、自分自身の学びに対して貪欲であるがゆえに、ドライな人も多いです。なので、相手のおしゃべりがつまらなかったり、少し話してみて、相手から得られることがないと判断すれば、「ちょっと飲み物をとってくるので、失礼します」などと、「丁寧」に立ち去られてしまいます(笑)。いずれにしても、食べ物で人が集まり、会話が始まり、自己紹介をして、自分の関心についておしゃべりしながら、人がつながっていき、新しいものが生まれるきっかけをつくる。大学の中で日常的に、こうしたインフォーマルながらも、アカデミックな話ができる空間やアクティビティをデザインし、そうした会話を誘発する場を作ることは、実は、非常に大事だと思います。

オンラインが起こす大学のイノベーション。

Q:大学でイノベーションを起こすには、どんな事例を参考にしたらいいでしょうか。

イノベーションを考えるとき、参考になる論考の1つにハーバード・ビジネススクールのクリステンセン教授の著書「イノベーションのジレンマ – 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき」があります。内容をかなり端折って言ってしまうと、優良企業は、すでに製品が支持され、経営も安定しているが故に、従来の製品を改良することばかりに目を奪われ、新しい価値観を生み出すことができにくくなる。一方、枠にとらわれる必要のない新興企業は、全く新しい価値観から物を創り出すことができ、やがてはそれが、大企業を滅ぼすことになり、その新旧のサイクルが続くというものです。

学生の皆さんに身近な例で言うと、ウィキィペディアと百科事典のような関係です。当初、ウィキィペディアは、「素人が作ったものに価値があるのか」と揶揄されていましたが、結果的には、従来の百科事典のあり方を根本的に変えてしまいました。また、アメリカの新聞社がどんどん潰れたり、買収されているのをご存知だと思いますが、当初は軽視されていた、紙媒体を持たない新興のオンラインメディアに読者を奪われたり、一見、新聞とは全く関係のない、Googleのようなメディア企業が、広告を奪い合う競争相手になるなど、予想を超えた展開になっています。このように、破壊的イノベーションは、当初、企業からは異端扱いされますが、既存の業界にはなかった発想だからこそ、新しい価値を生み出すことができるというわけです。

Q:社会のあちこちで破壊的イノベーションが起きているのですね。大学業界ではどうでしょう。

著者のクリステンセン教授の話を聞く機会が何度かありましたが、「ハーバード・ビジネススクールにとって、今後、脅威になるのは、オンライン大学だと思う。ここが、すぐになくなることはないが、今後、オンラインの影響を大きく受けるのは確実だろう」とおっしゃっているのが印象的でした。クリステンセン教授はオンラインのみの大学の授業向けに、ビデオ収録した時の模様を、ユーモアを交えて語っていました。撮影場所は建築が美しいことで知られる、ボストンの美術館の一室。聴衆には、美男美女でおしゃれな学生が多いと思ったら、彼らは全て雇われたモデルだったというのです。ビデオを完璧なものにするために、細部まで計算し尽くしていたことに、感銘を受けたと言います。しかも、オンラインのみの大学は教員を抱え込む必要がないので、逆に、大学の枠にとらわれずに、世界のトップクラスの教員の講義を横断的に集めることも可能です。クリステンセン教授は、従来の大学にはない、教育を商品として徹底的にこだわるところと、授業料が安く、時間や場所にとらわれずに学べる、というコンセプトが、今後さらに広く受入れられるだろうともおっしゃっていました。

オンラインの知見から、対面授業の質を高める。

Q:オンラインラーニングには、他にどんな事例がありますか。

バングラディッシュ系米国人で、MITとハーバードで学んだ、サルマン・カーンが始めた、「高水準の教育を誰もが無料で受けられる」ことをミッションとする、カーン・アカデミーという非営利のオンラインラーニングのサイトも、教育界に大きな影響を与えています。現在、3000以上の数学、物理などのビデオが公開されていますが、とてもわかりやすく、また、学習者がどこでつまずいたのかを知ることができるので、教師も、それぞれの学びの状況を把握しながら教えることが可能になるというメリットがあります。実は、9歳の娘の学校の授業でも使われています。知人のお子さんの学校では、先生が授業をするビデオを宿題として自宅等で観て予習し、学校の教室ではそれらを元に先生に質問したり、クラスメイトととの対話によって理解を深めるというように、まさにオンラインと物理空間の特性を活かして、有効的に活用しているところもあるようです。それにしても、名もない個人が始めたものが、教育の世界をこれだけ大きく変えるとは、当初は誰が予想したでしょうか。

Q:小学校で反転授業をされているのですね。大学の事例はどうでしょうか。

▼ ハーバードとMITが共同ではじめたオンラインラーニングの発表の場で。いずれも学長は女性

MITとハーバードは、2012年にedXというオンラインコースのプラットフォームを開設しています。この件について、ハーバードの学長に話しを聞く機会があったのですが、興味深いのは、やはりハーバードのようなトップスクールであっても、次の時代でもリーダーシップをとり続けるために、使えるものは何でも使ってみようという、チャレンジ精神を持っていることです。edXは、オンラインと物理的キャンパスの学びを、両輪で考えているのが特徴です。オンラインの強みは、キャンパスの学びではフォローしきれない個人個人の学びのプロセスの履歴が把握でき、そうした貴重な情報を、授業の改良に役立てられることです。オンラインでは、どんな講座が選ばれ、学習教材がどう使われ、それが学習者にどう役立ち、実際にどんな学びが起こったのか、という点まで分析が可能で、こうした知見をもとに、オンラインのみならず、物理的なキャンパスでの授業をより良くすることに役立てたいと話していました。つまり、オンラインでの学びと、物理空間の学びは、相反するものではなく、お互いに補完し合うもので、さらにそれぞれの価値を高めて行くためのツールとして位置付けています。 また、オンラインで得られた知見を、教育学の研究に役立てることも目的の一つということです。さらに、世界中に散らばる優秀な学生を発見して、リクルートする為のツールとしても使っています。非常に戦略的に考えられていますよね。

Q:オンラインを戦略的に使って大学の学びの質を変えていかなければならないのですね。

先程の、「イノベーションのジレンマ」ではないですが、大学が今後も安定した地位にあると思って安住していると、思わぬところから、「敵」がやってきて、破壊に追い込まれてしまうかもしれません。アメリカの有力紙「ワシントンポスト」が、アマゾン創業者のジェフ・ベゾスに買収され、世界をリードしてきた、ニュース雑誌の「ニューズウイーク」の紙版も消えてしまう時代です。トップ大学である、MITやハーバードのようなところでさえ、すでに、その危機意識を持ち、攻めの姿勢に出ていることは、大学として生き残るだけでなく、世界の大学界におけるリーダーとして存在すべきだという、覚悟が表れているように感じました。

グローバル時代こそ「日本の大学」を否定し、「我が大学」の魅力を高める。

Q:日本の大学が世界で生き残り、創造的な学びと研究の礎になるためにはどうしたらよいでしょうか。

まずは、グローバルな時代には、「日本の大学」という発想自体が通用しないと思います。日本にある大学、だからではなく、「日本のこの大学がアピールするためには」という、個別の大学のあり方が問われると思います。 大学を魅力ある場にして、人を惹き付けるには、知的にどれだけ興奮できる場所なのかを問うことが、不可欠だと思います。繰り返しになりますが、アメリカの大学に来る人が、必ずしもアメリカが好きで来ているわけではなく、特定の大学、さらには、特定の教授のもとで、研究を極めるために、入学したくて来ているのと同じように、日本の大学の場合も、単に「日本にある大学」というレベルではなく、大学そのものや、授業の中味に魅力を感じてもらえるもにしなければなりません。例えば、日本にあるT大学で学ぶことのメリットは何か、そこでは、どんな知的満足が得られ、どう成長できるのか。この大学に来ることが、キャリアや研究にどう役立つのか。そして、果たして、世界のトップレベルの仲間を作れるのか、フェアに評価されるのか。それをはっきりと見えるようにしないと、世界から日本に優秀な人材は集まってこないと思います。

Q:「日本の大学」というくくりにとらわれず、各大学がそれぞれの魅力を磨きアピールする必要がある、と。

学生や研究者は、良かれ悪かれ、かなり打算的です。特にアメリカはgive and takeの世界です。T大学は何をgiveできるのか、T大学で学ぶとどんな良いことがあるか、を明確に示し、何よりその実績の積み重ねと、それを対外的に上手くコミュニケートすることが大事です。モチベーションが高い学生が何より求めているのは、どれだけ高い水準で自分の可能性を広げられるかです。簡単な授業よりも、意味あるチャレンジを求めています。そのためには、大学は、優秀な教授陣、フラットな人間関係、透明性、公平さ、健全な競争、学び合いの文化、などを徹底して変えて行く必要があります。大学の「国際化」を考えて行くことは、実は、日本の大学の悪習慣を変革させる、格好の機会になるように思います。

Q:国際化は日本の各大学にとってピンチではなくチャンスになり得るのですね。各大学がそれぞれに、真に創造的な研究を推進し、創造的人材を育成する組織になるにはどうしたらいいかを考えるべきタイミングですね。

そうですね。また、いわゆる「優秀な人材」とは別に、「成長株」「これから世界を変えて行く」ような、「異端児」を見つける「目利き」としての評価力と、そうした荒削りながらも、潜在性を持つ学生を伸ばして育てて行くことも、大切だと思います。今後、世界で必要とされるのは、既存のルールとは別のところで発想し、全く新しいものを作り上げていく人材だからです。例えば、MITメディアラボは、30年近く前に、MITの縦割りの学部の枠に当てはまらない「異端児」を集めてスタートしていますが、当時はそうした経緯から「難民サロン」というニックネームだったと言います。それが今では、MITの看板大学院となり、世界のデジタル研究で最先端を走っています。メディアラボ創設者のニコラス・ネグロポンテ教授のビジョンと目利き力を改めて感じます。個人的には、ハーバードに比べると、MITのほうが、理系の大学という特性も手伝って、既存の枠組みを超えて、世界を変えるイノベーターを輩出しているように思います。

▼ MIT Media Lab

最後に、少し話がずれますが、今、私は、特に大学には所属していないのですが、ハーバードやMITは、市民に公開されている講演会やセミナーなどが多く、また、私の古巣のハーバード大学ニーマンジャーナリズム財団も、ほとんどのセミナーやカンファレンスなどに自由に出入りさせてくれるので、毎週のように通っています。開かれている大学の近くに住んでいると、その恩恵を無償で受けられる幸運さを感じずにはいられません。最近思うのは、「リタイアしたら、時間に余裕があったら、この街の大学に来て、知的関心空間を拡大してみてはいかがですか」ということです(笑)。いろいろと日本の大学に対して注文ばかりしてきましたが、 大学という知のプラットフォームには、無限の可能性があると思います。ともかく、日本の大学がグローバルな大学を目指すのであれば、「日本の大学」という枠組みを捨て、単体としての魅力をとことん突き詰めていくことだと思います。

貴重なお時間をありがとうございました。読者の皆さんにとって、ご自身が通う、または、勤める大学、母校の大学などの現状を思い浮かべながら、大学をより良い場にするためのリフレクションの機会になったと思います。

−ボストンにてインタビュー

写真:(上から順に)
ハーバードキャンパス ©Marc Buehler
MIT Stata Center ©Alan Galler
ハーバード授業 ©BusinessToday
ニーマンフェロー達 ©Nieman Foundation for Journalism at Harvard
edX発表 ©Stephanie Mitchell
MIT Media Lab ©Andy Ryan

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