研究者の仕事術

実践と研究の両輪を回す実践的研究者の仕事のつくり方

その場にあることの必然性を求めて。

写真1_プロフィール写真

川添 善行

東京大学生産技術研究所講師 (※現在は准教授)
川添善行・都市・建築設計研究所代表

研究テーマ:建築設計、まちづくり
Twitter: @k_w_z 写真撮影:小川重雄

プロフィール詳細
http://www.gandz.com/ 研究室HP http://www.kwz.iis.u-tokyo.ac.jp/  

現場に出向き、建築の「人となり」を見つけ出す。

Q:川添研究室ではどのような研究に取り組まれているのですか?

私たちの研究室では、建築を専門として設計やまちづくりのお手伝いをしています。「日本らしい建物ってどんなものだと思いますか?」と聞くと、お寺や民家などの近代「以前」の建物を答えられる方が多くいます。我々の問題意識は、近代「以降」の最新の技術を使いながらも、その場所らしさのある建築やまちなみがあまり存在しないというところにあります。また、最新技術を使いつつも普遍的な設計をするのではなく、建築の「個別性」を大切にしたいと考えています。どのプロジェクトでも、それぞれの場やまちなみの中でどんな建築にも必然性を持たせようという視点は一貫して持っています。

▼ドイツの気候学者ケッペンが作った世界の気候区分を示した地図。

出典:ウラジミール・ケッペン、ルドルフ・ガイガー著
気候学ハンドブック(Handbuch der Klimatologie)
「Das geographisca System der Klimate」(Gebr.Borntraeger出版 1936年)

これはドイツの気候学者ケッペンが作った世界の気候区分を示した地図です。この地図がどのように作られたかというと、植物がどの地域に生息しているかという植物の個別性を調べて区分を作ったそうです。我々の研究室では、建築の個別性を見つけ出していき、建築のあり方を見つめることで、このケッペンの世界地図のように世界の見取り図を描きたいと考えています。

Q:その土地らしさを「見つけていく」というアプローチなのですね。

建築家には、大きく2種類のタイプがいると思います。ひとつは、自分のデザインのスタイルを持っている人。机の引き出しにスケッチのストックがあり、お客さんが来るとその1つを取り出して「こんなんドヤ?」というタイプです。私たちはそういうタイプではなく、自分たちのデザインの形というものにこだわりはありません。設計をする主体としての我々はいますが、何かを押しつけることには関心がないんです。その分、依頼された土地でどんな建物やまちなみをつくるべきなのか、という必然性の見つけ方を大事にしています。私たちが見つけてきた必然性を組み立てていくと、建築のほうから、その「人となり」を見せてくれるようになって、だんだん方向性を見せてくれるんです。我々はそういうアプローチで研究室として建築の可能性そのものを広げていきたいと思っています。カッコいい建築をつくるっていうのは、ある程度力量があれば誰でもできるんです。そこに安住するのはつまらないじゃないですか。だから、建築なり、共同体なり、その在り方そのものが変われば良いなと思いながら活動しています。

Q:建築が「人となり」を見せてくるとは、どういうことですか?

1つの場があったとき、音がどう響いているように感じるかとか、入ったときの広がりの感じ方とかは人それぞれに異なりますよね。どこかに出かけたら、綺麗な風景を見に散歩してみたりする、そういうのは全部建築をつくる者としての何かにつながっていくんだと思うんです。建築は、建築家がどういう経験をしてきたかというのが反映される全人格的な行為だと思うんです。具体的な例を挙げると、私が経験してきたことの一つとして、師匠の内藤廣先生から全人格的な影響を受けていると思います。普通の建築事務所では建築家に弟子入りすることが基本です。安月給で毎日徹夜して一年に数日しか休みがない。労働環境としては大変ですが、その中で建築のスキルだけではなく、師匠の周りにある音楽や文学など、すべての生き様をみて学んでいきます。それが徒弟制度というものです。背中を見たり、時に横に並んだり向き合ったりしてそのすべてを盗むのです。それは大学教育だけでは継承できない部分だと思います。

Q:徒弟制ではどんなことを学ばれたのですか?

20代半ばの頃、内藤先生と一緒に、コロンビアのメディジンという市に図書館をつくるプロジェクトに関わらせてもらいました。当時は、「海外の大きいプロジェクトに関わって、これができたら俺は超有名になっているんだ!」と思って嬉しくて舞い上がっていました(笑)。現地に行く前、「これが実現したらすごい!」という、ある種の自己実現的な設計案を持っていったんです。ところが実際に行ってみたら、平均月収3ドルのスラムもあるような街で、子どもたちもそういう環境で育つのでまた同じサイクルが繰り返されてしまうという現実を目の当たりにしたんです。メディジンの市長は非常に信頼の厚い人で、都市の再生のためには教育の再生をしなければならないということで図書館の設計を進められていました。そんな状況を見ていたら、中途半端な自己実現みたいなものを建築に投影するのはばかばかしいって思ったんです。そのときから、今まで見たことのない斬新なデザインを提案するのではない建築の作り方があるんじゃないかと思うようになりました。机上で設計するだけではなく、実際に現地に行ってみないとわからないという姿勢はそのときに学びましたね。

▼コロンビア、メディジン市の図書館。

見えないリンクを掘り起こし、必然性をあぶり出す。

Q:最近のプロジェクトについてご紹介いただけますか。

今取り組んでいるものとしては、長崎・佐世保で地元の造船技術を活かした実験住宅や、インドでは低所得者層がつくる煉瓦を活用したコンクリートを開発し図書館をつくるプロジェクトなどがあります。事例を1つ詳しくご紹介しますね。栃木県の佐野というところのお寺のプロジェクトです。佐野は、和紙の原料となる楮(こうぞ)の畑が特徴的な風景なんです。楮畑の傍らで和紙職人たちが和紙をすく風景が見られるところなのですが、最近は和紙職人の方も高齢化で少なくなっていて、その風景もなくなってしまう。我々はその風景を残すことに何かコミットできないかと考えて、和紙職人の方に協力いただいて和紙を使った素材を研究室で開発し、壁や窓がほのかに和紙でくるまれた、やわらかい雰囲気の空間を作りました。

▼栃木県佐野のお寺。

撮影:小川重雄

Q:その土地「らしさ」がうまく設計に組み込まれているのですね。

先ほどもお話したように、我々の研究室では、ある必然性みたいなものを見つけたいんです。例えば、「木材はエコだよね」、「CO2は少ない方が良いよね」というのは、何も規定しない必然性なんですよね。みんな「うん、そうだよね」って言うけれど、それ以上何も進まない。もう一歩進んだ必然性を探したいなと思っています。その踏み込み方が何かをつくることのきっかけになるんです。それが見つからないと、建築の設計にしても、まちの計画にしてもすごく押しつけがましいものになるんですよ。その必然性を見つけるのは結構難しくて、最近は偶然性を探しているのかな、とも思っているんですけど。

Q:例えば、先ほどの佐野のプロジェクトでは必然性はどのように見つけられたのですか?

それも偶然ですよね。オファーをいただいてから、まずはプロジェクトチームで議論をするんですが、まあ、なかなか最初はきっかけが無いんですよね。依頼者から、「お寺をみんなが集まれる場所にしたい」ということは聞いていたので、もともとそんなに広くない場所だし、更に細切れにするのではなくて、おおらかに包まれている空間なんだろうねっていうところまではチームで話して。で、どうしたもんかねってなって、現場の近くまで行くんです。近くの食べ物屋さんとか何でも色んなものを探すんですよ。その中で1つ、和紙会館みたいなのがあるのを見つけて議論しているときに、ちょうど90歳過ぎの依頼者の同級生が和紙職人だということがわかって、行ってみることにしたんです。

それから結局、和紙職人のところに何回も行くんだけど、何度も断られてしまうんですよ。なぜ断られてしまうかというと、和紙職人はみなさん高齢化されていて、地域の小学校の卒業証書を一年かけて作り続けるんです。それが彼らの生業であって、他の仕事をする必要はないし、したくない。おこがましいですが、社会的役割が固定化されているんです。そこに僕らみたいのがいきなり行ってお願いしても「なんで建物に和紙なんて使わなきゃならないんだ」って断られてしまう。何度も断られるんですけど、何回も足を運んで説明していると「切れ端なら持って行っていいよ」って言われて、それを使って研究室でサンプルを作ってみて持って行ったら、「ちょっと協力してやるか」って言ってくださったんです。我々の仕事はそこにあるんだと思うんですね。まだ見つけられていない建築の可能性を広め続ける、というか。これを毎回やっていると疲れるんですけどね(笑)。

Q:偶然の連鎖のようにも聞こえますね。

そうかもしれません。偶然を連鎖させるための努力、例えばサンプルを自分たちで作ってみちゃうとか、しつこく行く、とかはしていますけど、最初から目的地があるわけではありません。協力していただける方によって設計が変わります。だから、もしもう一回あのプロジェクトをやったら、多分違う結果が出ると思います。連鎖は自分一人でコントロールできるものではないんですよね。現場に入り込んでいって人脈がつながっていくのも、もともとつながっていたか、つながりうる可能性がある方だと思うんです。和紙の話にしても、あそこの地域の和紙は元々凧とか色んなものに使われていた歴史があったんです。それが今は小学校の卒業証書しか作らなくなってしまった。そういう技術的なポテンシャルがあったし、そういうものの中で暮らしている人たちの見えない経験があったからこそ、リンクが生まれるんでしょうね。でも、無理矢理リンクをつなげようとするとやっぱり技術的にも無理があったり、コストも合わなかったりする。新しいリンクも生み出したいですが、見えないリンクを掘り起こして、必然性をあぶり出している気がしますね。

Q:そのスタイルは他のプロジェクトでも同じですか?

はい。でも濃淡はありますね。場所の力や縁みたいなものが強いところと弱いところがあるんです。例えば、東京都内はやりにくい。東京って色んな業態や経済的なものの集積ですよね。人も物も、立場とか役割がはっきりしている。例えば、ビールはコンビニで350円で買えます、みたいに明確です。そういうところは連鎖を起こしにくいんです。最終的には都会でも偶然の連鎖を起こせるようにならなきゃいけないとは思います。

Q:今、関わってみたい街はありますか?

オファーがあったらどこでもやってみたいですね。どこでも行った場所で楽しくできると思います。自分から内発的に問題意識を持つこともありますけど、それだけだと、自分が思っている以上のことはできなくなってしまう。自分の内発的な問題意識があったとしても、必然性やつながりを見つけていくようにしたいし、だから楽しめるんだと思います。

八百万の神のいる生態系としての研究室を作り出す。

Q:川添先生のお仕事は「研究室」が基本の単位なのですね。

はい。我々がなぜ研究室として、実際に設計まで手がけるかというのを、この図で説明したいと思います。一口に設計と言っても、「建築士」にも、「建築家」にもそれぞれの設計の特徴というのがあります。建築士は、お客さんの注文やお金などの色んな制約の中で建物を建てていきます。一方、デザイン的な建築家の方たちは、その建築家自身がブランディングしているデザイン、例えば、コンクリート打ち放しのデザインなど、それぞれの建築家にデザインの特徴があって、クライアントはそのデザインが欲しくて依頼します。私たちは、デザインによるブランディングには興味がありません。研究室として設計をする上では、建築の可能性を追求していきたいと思っています。こういう場所にはこういう建築の可能性があるということを見つけ出していき、建築の可能性を広げることが我々の使命だと思っています。

▼設計活動の思考の振幅。研究室で建築の可能性を広げる。

Q:研究室のメンバーはどのようにコラボレーションしているのですか?

研究室に置いているテーブルが、我々の仕事のやり方を表しています。みなさんは、「デスク」と「テーブル」のどちらで仕事をされていますか?「デスク」は、その職場における職種や役割を指すもので、「テーブル」は場を共有したり、共同で何かしたりする枠組みと言えます。我々の研究室では、教員も研究員もスタッフも学生もみな、ひとつながりのテーブルで仕事をしています。我々のアプローチである、個別の地域のおもしろさを見つけるためには、違う嗅覚を持った人が集まって仕事をすることが重要なので、あえてみんなでひとつながりのテーブルで仕事をしているんです。研究室のメンバーには一人として同じ経験をしてきている人がいないので、チーム編成によって、無限の可能性を発見することができます。そういうメンバーと一緒に仕事をすることで、建築の可能性を広げていきたいと考えています。

▼川添研究室の象徴、ひとつながりのテーブル。

Q:研究室のメンバーはどう選んでいるのですか?

基本的に、メンバーは私が良いと思った人に声をかけています。今いるメンバーが持っていない何かを持っている人、他のメンバーに良い影響を与えてくれそうな人を常に探しています。人生は有限なので、できないことを伸ばす時間はありません。我々はその人の長所を活かしてもらえるように、他に変え難い長所を持った人を集めます。だからバックグラウンドも全然違う。そういうチームの作り方をしています。

Q:研究室というチームで必然性を見つけに行くのが大事なんですね。

そうですね。期間が限られた一期一会のプロジェクトの中で必然性を見つけ出すためにはチームの方が良いような気がしています。どうしても一人だと解像度が低くなりますよね。チームでやることで、私自身が見えていないものを見つけてこられるし、偶然生まれる必然性の根深い何かを発見できる可能性は高まります。必然性を見つけるための体系的な方法論を作ることはできるかもしれないけれど、私たちは未だ持っていません。だから、アクションのシステムや方法論ではなく、「在り方」を色々と試行錯誤しています。それが正解かどうかはやりながら試しています。自分が既にわかっているところに行ってもおもしろくないじゃないですか。わからないところまで行こうとすると、自分がまだわかってないやり方をするしかなくて、そうするとやりながら改善していくという風にしかならないですね。

Q:どのようにチーム作りをしているのでしょうか。

それはシステムではないと思うんです。一神教と多神教がありますよね。企業はある種、一神教に近いところがあると思うのですが、我々は多神教、八百万の神がいる研究室です。「川添研究室」の主宰教員は川添ですが、私自身も秘書さんに怒られることもあります(笑)。仕事の中身にしても、八百万の神様がいるからと言ってバラバラということではないと思います。今抱えている複数のプロジェクトの事例も外見に表れてくる形や見え方は全部違うと思うんですね。でも、その仕事のアプローチや問題意識みたいなものは近いと思うんです。我々は仕事のプロセスにおいては、頻繁に研究室のテーブルでディスカッションをしています。

Q:研究室は生態系なのですね。

うん、生態系っていい言葉ですね。技術的な意味でも、物質循環という意味でも、本当は建築そのものもある種の生態系の中にいますよね。それがある時から、コンクリートや鉄骨という技術によって固定化されてしまった。でも、地球の一万年の生態系の歴史で言えば、何十年って一時的なものであって、それがまた循環していくじゃないですか。それが一時期、自然と技術を切り離しすぎてしまったんだと思います。技術と自然の相互関係はやはり大切ですし、それが離れてしまうのはやはりおかしくて、そこは繋がっているはずです。そうすると、単に自然素材を使いますということではなくて、もう少し自然の生態系の中にある技術とか建築という視点が大事で、それを生み出す我々の研究室という組織自体も生態系なんじゃないかと思います。

自分を越えるために、自分からは見えない余白を残す。

Q:お仕事はどのように始まるのですか?

建築の仕事は、自分で見つけてくることはほとんどなくて、基本的に依頼から始まります。オファーされる相手がいないと仕事が始まらないんです。ある意味、他力本願ではありますが、我々の仕事にとって相手がいることで自分たちが知らないことを知るということが非常に重要です。はじめて関わりを持つ地域に行って、その地域の暮らし方や道具の使われ方などを知っていくなど、相手に依存しなければならない側面が建築には大事だと思います。オファーを受けた仕事に対して、単に我々の専門性を切り売りするのではなく、そのプロジェクトから様々なことを学び、情報を吸収するようにしています。あるプロジェクトでのインプットが、別のプロジェクトに活かされていくんです。なので、オファーから始まる仕事ばかりでも、こちら側が知的に枯渇することはありませんし、むしろ、色んな現場に足を運ぶことによって、我々のクリエイションが成立します。仕事の進め方も同じで、建築の設計において、建築家である私たちが一番知っていることって多くはないんですよ。例えば、コンクリートの専門家、家具の専門家、照明の専門家の方など、自分たちよりも情報を持っている方たちから自然に情報が集まってくるようにしておき、それを構築しなおして体系をつくるのが我々の役割です。

Q:研究室内でプロジェクトの分担はどうしているのですか?

最初は私がプロジェクト間のハブになっていたんです。例えば、プロジェクトAで、とある技術や素材について調べてもらうと、ものすごい情報量になります。それを一人だけが持っていてももったいないので、私がその情報を聞いて、別のプロジェクトBに、こういうのがあるよ、と伝える。そうするとツリー状になるんですね。私が幹にいて、枝が分かれ、枝同士はそれぞれ違う方向に伸びていって触れ合わない、私のところに一番情報が集まってくる形になります。そのやり方を変えようとしています。これまでは、あまり大きくないプロジェクトは担当を一人にしていたのですが、プロジェクトを複数人で担当し、一人が複数のプロジェクトを担当するようにし始めたんです。責任者の主従とか仕事量を調整しないといけない難しい問題もありますが、そうすると、お互いに情報のやりとりが始まって、議論が始まるんですよ。私が「議論しよう!」とか口で言っても始まらないですよね(笑)。議論が増えると個人の作業量は減ってしまうかもしれませんが、私個人では思いつかないようなものが議論の中で生まれる可能性が高まります。このやり方がいいかどうかはもう少しやってみないと分からないですけどね。情報共有の系統をどうするかとか、試行錯誤でやっていますけど、今のところそんなに大きな問題は起きていないですね。

Q:研究室メンバーが多様だと、議論も広がりそうですね。

違うタイプのメンバー同士を関わらせるというのも心がけていますね。例えば、細かくゆっくりやりたい人と、ざっくり早くやりたい人を組み合わせるとお互いにメリットがあるんですよね。同じタイプを組み合わせるとそれがエスカレートするだけなので、できるだけ違う持ち味を持った人同士を組ませる。すると、「相方はもう図面まで描いてたけど俺まだ何もしてない」って気付いたりする。私が「早くしなさい!」って言ってもしょうがないんですよ。だから、単にツリー状ではなく、立体的で見る面によっては色が違うルービックキューブみたいなイメージの組織を作ってみたらもっとうまく行くかなと思っていますね。

Q:川添先生はルービックキューブを俯瞰している存在なんですか?

私はルービックキューブを作ることには関心があるけれど、俯瞰はしてないですね。どんなに俯瞰しようとしても三面しか見えないから。私の視点から見ると「今日は青だな」と思っても、違う側から見ている人は「今日は緑だな」というのがあるだろうし、私自身に見えない面があるというのが良いことなんじゃないでしょうか。そうすると、自分が知らないものが研究室に入ってくるようになるから。やっぱり全体像が見えてしまうとつまらないでしょ。正直に言えば、私個人の性格的には全部把握していたいんですよ(笑)。でも、そうすると自分の知っていること以上を越えられなくて、自分の限界にぶちあたるだけだと思うんです。そうしないためには、立体的な組織にしていかないと自分を越えられない。研究室は私自身の成長の場でもあるんです。

一生活人としての視野を広げる、21日連続休暇。

Q:アクションのシステムではなく、在り方のシステムを試行錯誤しているとのことですが、他にも研究室で工夫していることはありますか。

最近、21日連続休暇というのを始めてみました。建築の分野は、設計にしても研究にしても人の生活に密接しているものなので、我々専門家もそれぞれ一生活人である必要があります。良いアイディアは必ずしもパソコンの画面に向き合っている時に出るものでもないから。一生活人の視点をどれだけ拡張できるかというところに専門家としての大事な何かがあるはずだと思っています。ただ体を休めるための2、3日の休暇ではなくて21日連続で休めば、きっと何かが変わると思うんですよ。「マス(量)」の効果ってありますね、ある量を超えると効果が変わる。例えば、10万円と1億円では出来ることが全然違いますよね。長く休んだ分、業務としては穴があくかもしれないですけどチームに何かを持ち帰ってきてもらえるかなぁと思ってやっています。自分と同じことができる人が複数いても仕方ないので、自分にできないことを求めようとすると、もちろん労働時間も大事だけれど、やっぱり労働時間「外」に私の持っていない情報をとってきてもらうのも大事だと思います。

Q:21日連続休暇の反響はいかがですか?

すごく喜ばれると思ったんですけど、逆に、罠じゃないかとか陰謀説がでていましたね。おいしい話には裏があるんじゃないかと(笑)。でも、何かやってみないと変わらないし、ダメだったらまた変えればいいと思っています。3ヶ月前に思いついて、先日一人とったし、今日ちょうど帰ってくる人がもう一人います。効果が出るのはまだ先でしょうね。

Q:21日連続休暇によってだいぶ働き方が変わりますね。

我々はクリエイションを求められている専門家であって、言われた図面を描くだけ、材料を調べるだけ、という働き方とは違うんですね。我々が求められているのは創造であって、エッジで突き抜ける役割です。そのためには、在り方や働き方を変えるというのが重要だと思っています。

働き方を変えると出来上がってくるアウトプットが変わると思うんです。例えばコンピュータの出現によって設計のプロセスはだいぶ変わりました。設計や研究のプロセスが変わることによってアウトプットが変わるのは明らかです。昔は、設計は製図板で分業しながら仕事をしていました。その頃はみんなが帰った後も、製図板に図面が貼ってあったりして誰が何をやっているか大体分かったんですね。でもコンピュータになると、人がいなくなると何をやっているか全く分からない。職場の風景というのが変わりました。コンピュータがあるおかげで、情報の共有、メンバー間の共有、プロジェクト間の共有ができるようになって分業は楽になりましたが、その一方で、昔みたいな曖昧なつながりみたいなものが無くなり、「今、何の仕事をしていますか?」みたいな、よりダイレクトなコミュニケーションをしなければわからなくなってしまいました。

Q:働き方を変える、ということが大切なのですね。

建築の設計を仕事にしている我々にとっては、設計のプロセスが変わること以前に、働き方が変わることが大事なのだと思います。なので、仕事のプロセスだけではなくて、職場としての有り様を変えるといいかなと思っています。また、共同作業が多いので、どういう共同体を作るかというのが研究室のテーマです。どういう村をつくるか、どういう都市をつくるか、と同じように、どういう職場をつくるかというのもやっぱり大事なのかなと思います。研究室のメンバーには気持ちよく仕事をしてほしいと思っています。

個別の実践の中に、研究としての価値を見いだす。

Q:徒弟制の他に、建築分野の教育・研究で特徴的なことはありますか?

建築の教育に特徴的なものとしては、「講座」と「スタジオ」の2種類の方法があることだと思います。「講座」は講師の話を聞くいわゆる講義型の学習形式で、ある個別領域の専門分野の知識を得るという目的がはっきりしていて、知識を細分化し深めていきます。一方、スタジオは、演習形式で、ある設定が与えられ、自分で課題を見つけてそのための方法論を自分で組み上げていく方法です。例えば「高齢化のために30年後には人がいなくなってしまう住宅地があります。どうしますか?」という設定のスタジオがあるとして、それに対して、ある人は社会学、ある人は農学というように人によって色んなアプローチで課題を見つけていきます。「講座」だけでも制度疲労を起こすし、「スタジオ」だけでも散逸的になっていく。その2つを組み合わせることで、時に専門知識を深められ、時に統合して新しい課題を発見することができます。我々の研究室は、設計の実践をするところなので、「講座」と「スタジオ」を統合する知の在り方に近いといえます。設計の実践の中からいかに新しい課題を見つけるかということが大事だと思っています。

Q:川添研究室の「研究」とは、具体的には何を指すのでしょうか。

私たちは、いわゆる研究の積み重ねからそれを応用するというアプローチはとっていないんです。実践の現場で起きている課題を見つけてきて、そこから新しい概念を構築し、概念を作った後は近接する研究領域の方と一緒に研究を進めるというアプローチをしています。でも、研究とは何か、というとき、単に調査するだけの研究では研究と実践は結びつきません。私は、研究とは自分たちが元来どこから来て、今はどこにいて、これからどこに向かうかというのを探すことだと思うんです。だから、研究する主体である本人が、自分がしていることが研究だと思えば、その行為や思考はなんでも研究だと思います。目の前の個別の設計には全力で向き合いますが、設計する本人の心の奥にその実践をまた更に還元していこうとする「研究心」があるか、より良い建物や都市に暮らしたいという人たちへの眼差しを持ち続けられるかどうかが、実践が研究になるかならないかの違いだと思います。

Q:では、「実践」とは何を指しているのでしょうか。

狭義では、もの作りですね。反復性のある現象としてのもの作りではなくて、他に取り替えのきかない、ある固有の実践のフィールドにおけるもの作りです。つまり、取り替えの無い場があり、そこに取り替えの無い個別の人格をもった担当者と、その時々の空間的時間的経済的な制約の中で、何か結果を出すことが実践だと思います。それは普遍的なものとは違いますよね、臨床と言っても良いかもしれません。

Q:病院の現場みたいですね。

そうですね。医学の先生も似た課題を持っているのではないかと思います。一人の先生が一生の内に看られる患者さんの数は限られているかもしれませんが、その活動はより多くの命を救う力になるはずです。お医者さんも、患者さんを看ることとある治療の研究をすることってそんなに分かれていないはずだと思います。患者さんにはそれぞれ個別の状況や気持ちがあるわけで、そういう個別性の中でいかに研究としての価値を見いだすかという課題と直面していると思います。世界中に建てられる建物の絶対数に比べれば、私たちが関わることのできる設計の件数は少ないけれど、その中から研究によって導き出せる普遍性とは何かという視点が大事だと思います。

Q:実践と研究はどうつながっているのですか。

それは今、私自身も悩んでいるところですね。例えば、あるひとつの設計プロジェクトを依頼されて、色んな調査をしてその場所の必然性を見つけ出して設計が出来上がったとします。そのプロセスにおいてリサーチとデザインが関係していると言えば関係しているんですが、その研究はとても短期的な時間的制約があるものです。設計のオファーの依頼者としては早く建ててほしいわけですから、数ヶ月の間に成果をあげなければならない。そこがキーで、オファーしてくる相手がいなくても蓄積できる研究をすることが大事だと思うんです。短期的なアイディアでは設計と研究は結びつくんですけれど、長期的な研究の在り方と設計の在り方というものについては、今後の私自身の課題です。

Q:研究成果を伝える1つの形として論文があると思います。論文は書かれないのですか?

今は論文を全然書く時間が無いんですけれど、書きたいんです。ちょうど先日、学会に参加してきました。学会のセッションは大学の研究室の分かれ方とほぼ1対1で対応していて、みんな参加するセッションは毎年決まっているような閉鎖的な感じなんです。でも、例えばイタリアの学会では「改修(古い建物をどう使うか)」のセッションがあったり、ドイツでは「軽い構造と重い構造」というセッションがあったりするのですが、そういうのが日本にはない。ただ、日本の学会も最近は少し変わってきていて、「デザイン」のセッションを作っていました。ある建築を作ってそれがどういう意味を持っているのかというのを議論する場で、まだまだセッションの議論の進め方には課題がありそうですが、デザインって色んな切り口を統合しながらぽろっと出たりするので、講座毎に分かれているだけではなくて、色んな人が議論に参加して多様な見方ができる場があると良いと思います。学問への貢献という意味でも、デザインが建築学という工学の体系に寄与する例を示して、実践の中から得られるものを隣接している人たちに橋渡しできるような論文を書きたいと思います。

北極星として、定点でありたい。

Q:1つ1つの個別の建物を手がけながら、長期的な建築の研究を行っていくことは非常に時間がかかることのように思います。

その部分は組織が担保するのかなと思います。「東大」という単位での組織ではなく、「研究室」というチームの視点を常に担保し続けることが必要だと思います。研究室とは、ある種の定点なのだと思います。ある定点を社会の人が見たとき、「ここはこういう問題意識で設計しているのか」とか、卒業生達が「やっぱりああいう見方があるよね」ということを確かめられる。定点も、もちろん毎年多少は動きますけれど、変わりすぎてしまうとみんな不安定になります。人が生きている中でそういう定点って多くはないので、ドラスティックに変わることは誰も望んでいないし、変わらないものを提供することが研究室の大事な役割だと思いますね。

私自身はきっと変わると思うけれど、研究室の視点は変わらないんじゃないですかね。その定点が必要なくなったらその研究室の存在は無くなってもいいんじゃないでしょうか。研究室が永続することに意味があるのではなく、その定点を必要としている社会情勢や人がいるということで研究室が役に立つわけですから。定点があって、定点のまわりに蓄積されていく色んなものがあって、社会に必要とされているから存在意義があるのだと思います。そうでなければ、研究室じゃなくて企業の研究ユニットかなにかが研究してくれればいいでしょうし。

Q:川添先生の目指すゴールとは?

今、私たちが目指しているゴールは最初にお話ししたケッペンの図なんです。北海道の建築と沖縄の建築って、本当は違うはずですが、今は同じような技術で同じようなものが作られています。それは一神教的な設計であって、雪が降っても、暑くても大変なんですよね。私たちは多神教でありつつも、ある種のまとまりをもったものをつくっていきたいんです。1つ1つの表れ方は違うけれど、全体を俯瞰すると世界地図が見えてくるというイメージです。個別のものを研究しながら、個別のものを組み合わせていくと大きな世界観ができていくというのが私の理想ですね。そこにたどり着くまでに、もう少しかかるなあと思っています。建物の複数形はビルディング「ズ」と言いますが、建築はアーキテクチャー「ズ」とは言わず、複数形がありません。建物よりも包括的なものとしての建築というレイヤーの世界観を表現できるのでは、と考えています。

Q:なぜ大学外の建築事務所ではなく、大学の研究室で設計をするのですか。

私は偶然、大学に研究室を主宰するご縁がありましたが、数としては、建築事務所で設計する人の方が圧倒的に多いのが現状です。大学に研究室に持つからには、事務所でやるのとは違うやり方をしたいと思って試行錯誤しながら工夫しています。研究室の在り方を工夫して、建築の可能性を切り開くことが今の私の社会的役割だと思っています。もしこれから先、建築事務所を持ったら全然違う役割をしているでしょうね。

Q:「建築家」と「建築の研究者」は違うものなのですか?「建築家」のアイデンティティとはなんなのでしょう。

私は基本的に、自分は研究者ではなく建築家だと思うんです。現場で作ることにベースがあり、そこから導き出した、もう少し普遍的な問題を学問に還元していくのが役割です。建築家って、建築士と空間デザイナーのあいだのようなイメージなんですね。建築士は国家的な法制度を熟知している制度的役割を持っています。一方、空間デザイナーは使う人の感性に届くような空間をつくるという職能を持っています。建築家はその間で、空間を理解してどういう感性で作るかということを考えつつ、法制度についても考え、工学的な技術についても理解し、それをデザインとして使い手に送り届ける役割を持っている。だからこそ、建築家は専門性が見えにくいのかもしれません。

研究者と建築家の違いもそこにあると思います。研究者はある研究分野に依拠しています。例えば、コンクリート分野の研究をします、とか。しかし、建築家ってそういう依拠するものが無いんです。設計の制度が変われば建築士の在り方が変わり、それに引きずられて建築家の在り方も変わります。建築家は制度や資格で保障されているものではないので色んな矛盾をきたしているともいえます。でも、だからこそ、隣接する人たちとくっついたり離れたりできるのかなと思います。何にも保障されていないので、建築家は常に自分は何者かという問いと向き合わなければなりません。建築家を規定するものがあるとすれば、アプローチの方法や仕事に対する姿勢や、できたもののクオリティによって初めて規定される。だから、建築家はみんな奥歯にものが詰まった感じで「僕は建築家です・・・」と言うのかもしれません。「僕は建築家なんだよねー!」っていう人が合コンに来たらそれは信用できないと思った方がいいでしょうね(笑)。

Q:最近は取材も多く受けられているのですよね。

最近ではいろんなところに取り上げていただく機会が増えました。同じ仕事についてお話しても、編集者の方によって掘り下げ方が違うのが面白いですね。お話しする中で、自分も気付いていないことに気付くことが多々あるんですよ。そうすると私自身、自分がやっていることってこういうことなのかって客観的に分かるし、その意味付けが見えるのでとても助かりますね。そういう編集者の人とお話しすることは自分の財産になります。

今日みたいに、仕事を生み出すバックグラウンドをどう設計するかという話も今までは全然したことがなかったので、話していると客観的に相対化することができていいトレーニングですね。自分がどういう存在かということは自分ひとりではわからないじゃないですか。自分のチームのことも、外から見る方が客観的に見えるだろうし。どの視点が正しい正しくないというのではなく、自ずとあぶり出されていくものだと思います。外の人に対して開かれている場所は解釈の多様性があって色んな方向に伸びると思うんです。そういう意味で、開かれた研究室でありたいと思いますし、インタビューにきてくれるような方がいないとガラパゴス化してしまうので、来ていただいてありがたいですよ。

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