研究者の仕事術

実践と研究の両輪を回す実践的研究者の仕事のつくり方

あらゆる研究活動は社会的実践活動である。

sakura_osamu

佐倉 統

東京大学大学院 情報学環 教授

研究テーマ:進化生態情報学
Twitter:@sakura_osamu

プロフィール詳細
http://sakuralab.jp/   ※撮影:読売新聞社

全ての研究は社会的な意味を持つ。

Q:佐倉先生は、進化生物学、科学技術社会論、科学コミュニケーションなどをご専門とされていますが、研究活動と社会的実践活動の関係性をどのように捉えていますか?

一般的に、研究というと象牙の塔にこもって社会から離れて行うものだと考えている人が多いと思いますけど、僕はあらゆる研究はすべてイコール社会的実践だと思っています。たとえ象牙の塔にこもって研究していたとしても、社会的に価値のない研究は存在し得ません。基礎的な研究で社会に直接は役に立たないように見える領域であったとしても、社会全体の文化の厚みを増し、長い目で見れば社会で暮らす人々の幸せに貢献します。たとえば音楽だってスポーツだって、何か製品を生産しているわけではないけれど社会を豊かにしているし、そういうものがない社会はありえないですよね。研究も同じようなものだと思う。だから研究者は、自分の研究が社会の中でどういう意味があるのかをもっと自覚するべきだと思うんです。

Q:自覚し、それをきちんと社会に対して説明できなければならない、と。

そうそう、それこそが研究者のアイデンティティなわけですよね。それは本人が説明できなければいけないと思います。その点では、どうなんだろうと思う研究者も少なくないですね。自分のアイデンティティが「自分の学問分野の中で何をするか」ということに閉じてしまっている。その学問分野はそれだけで存在するわけじゃなくて、他の学問分野もあれば行政もあれば事務の人もいればお金を払ってくれる人がいて、そういう中で成り立っている。こういう社会の循環の中で自分のアイデンティティを確保するということに無頓着な研究者が多い。ある研究者はこう言ったけど、私はこうしました、この人とはここが違います…という狭い範囲の中でしかアイデンティティを規定していないんですね。

研究を社会に伝えるアウトリーチ活動の重要性。

Q:自分の研究が持つ価値を社会に正しく伝えるためにも、科学カフェなどのアウトリーチ活動は重要になるのだと思います。佐倉先生の領域では、アウトリーチ活動は研究業績として評価されるのでしょうか?

業績としてはカウントされないですね。研究業績はやはり論文、学会発表、あとは単行本もカウントされる。科学カフェのような活動は、科学技術社会論とか科学コミュニケーションの分野では、本来きわめて重要な研究業績なので、評価すべきなんですが…、研究成果として評価するような仕組みや土壌はなかなかないですよね。

これはとても難しい問題を含んでいて、専門的な学会の中で発信した論文や学会発表だけが評価されるという仕組みは、専門的で信頼度の高い情報をスクリーニングするという意味では機能しているわけです。それがあまりにも専門家集団の中だけで閉じているから、科学カフェとかアウトリーチ活動、コミュニケーション活動も業績として評価されていないじゃないかという話になるわけだけども、じゃあ積極的に評価すれば良いのかといえば、必ずしもそうでもない。研究者は研究の才能があって研究しているわけで、アウトリーチ活動が必ずしも得意なわけではないでしょ。そういう人が研究に割ける時間の2割とか3割を使ってアウトリーチ活動をしても、たいして面白くないコミュニケーション活動になる(笑)。あいつあんなことやってるなら論文書いた方が良いのに…というものしかできずに、みんなが不幸になるんですね(笑)。だから科学者は全員そういう活動をやるべきだという風潮には、僕は反対なんですよ。コミュニティ内で役割分担が出来ていて、学会の中で研究をどんどんやれる人と、コミュニケーション活動のような社会的活動も担える人の両方がいる、そういう機能があれば良いんじゃないかと思っています。

Q:科学カフェの他にはどのようなアウトリーチ活動を?

科学未来館の機関誌『MeSci News』に、対談を連載していたんですが、それが最近本になりました。芸術や行政など、科学以外の領域で活躍している人たちとの対談で、そういった領域で科学はどのようなあり方をしているのか、がテーマです。

Q:佐倉先生はテレビ番組にも出演されていますが、研究者のメディアの使い方についてはどう考えていますか?

一番最初にテレビに出たのは『サイエンスZERO』の前身番組で『サイエンス・アイ』っていうやつのコメンテーターとしてなんですけど、何気なく30秒間くらいのコメントをしたら、放映後に「見たよ」っていう反応がメールとかで沢山来たんです。一生懸命本を書いてもさ、あんまり反応来ないんですよ(笑)。1年とかかけて本を書いても反応ないのに、思いつきで喋った30秒のコメントに対して色々な反応が来る。テレビって何なんだろうと思いましたね。視聴率1%で視聴者数118万人ですから、発信された情報の届く範囲が論文や本に比べて遥かに多いわけです。恐ろしいことですよね。その時に、良い悪いはともかく、これだけ社会的に影響力を持っているテレビというものと、科学者もうまく付き合っていかなければいけないと痛感したんですよね。

メディアも、活字とテレビとラジオでは全然違いますし、全国紙と週刊誌でも違う。そうするとひとくくりに”マスメディア”と言ってしまうのは間違いで、メディアの中でどういう種類のメディアをどのように使っていくのか、研究者はセグメントした対策を立てなければいけません。たとえば新聞には出るけどテレビには出ないとか、テレビでもこういう番組には出ないとか、こういうことを言いたい時はこういうメディアに出るとか。研究者側が戦略的に考える必要がありますね。

研究は常に社会の中で行われている。

Q:研究を社会に位置づいているものとして意識したのはいつ頃からですか?

学生の頃はまだ社会との関係なんて全く考えていなかったですよ。どちらかというとそういうのは嫌いで、科学の社会的な問題よりは科学哲学とか科学史の方が好きで。そもそも楽しい知の世界を極めるために研究者になろうとしているのに、なんでそんなこう、現実のドロドロした世界にわざわざ君たちは行くんだ?と冷ややかに見てましたね。

学部時代は東大の心理学で、動物行動学について研究していたんですが、千葉県の房総半島で、野生のニホンザルを観察して卒業論文を書いてたんです。房総半島は猿害が多くて、猿が畑や田んぼを荒らすので、ある財団法人がやってる猿害防止事業があって、そこに半分ボランティアとして参加しながら施設を使わせてもらってたんですね。ところがもう面倒臭いわけ、その活動自体。猿が畑に出て来たら、僕らが花火をパンパーンってやってね、猿を追い払わなきゃいけないわけですよ。まあ仕事だからいいんですけどね、それはいいんだけど、花火なんかやったってさ、10分もしたら猿、戻ってくるんだわ(笑)。それでまた行ってパンパンやらなきゃいけないわけ(笑)

とにかくそんな調子でしたので、自然保護とか面倒なことに関わらずに研究だけをずっとやりたいと思っていたんです。それで、博士課程の時はアフリカにチンパンジーをみにいくんですけど…、そしたらさ、アフリカでもさ、やはり猿害問題はあるんですよ。おばあさんが、「チンパンジーにうちのオレンジが盗まれたんだけど、なんとかしてよ」とか言うわけ。なんでアフリカまできて、千葉で言われたことと同じこと言われなきゃなんないの!?それが嫌でアフリカまで来たのに!って(笑)

Q:どこにいっても研究には社会で生きる人々が必ずついてまわる(笑)

そう、それをその時に認識しましたよね。研究と社会というのは分けられるもんじゃないんだな、と。程度に差はあって、社会的実践が8割というスタイルもあるかもしれないし、研究が9割というスタイルもあるかもしれないけど、いずれにせよ、社会がゼロということはない。ただ、それでも面倒臭いからイヤだなとは思っていたんですけどね。

Q:猿の研究から、どのようにして科学史や科学コミュニケーションを専門に?

当時はすっごい大変だったんです。僕はデータをかちっと取ってしっかり分析する研究は苦手で、ガーっとホラを吹くのは得意なんです。…いや、ホラじゃないんだけどね(笑) 大局的視点に立って俯瞰するわけです(笑) ところがゼミや学会で話してても、全然データが無いじぇねえか、ホラばっか吹くんじゃねえ、と怒られるわけですよ。科学研究というのはちゃんとした実験や観察データを取るし、人文系の研究でもきっちり文献を読みこなして、ある証拠を積み重ねて自分の主張を客観的に補強するわけですよね。僕はそこが弱いんですよ。そうすると、当然周囲の科学者からは、「たった10頭しか猿みてないのに、証拠もデータも無いのにこんなこと言っちゃうわけ?ちょっとフィールドで取り直してこい!」とか言われるわけですよ。そうすると、だんだん面倒臭くなってくる。僕の頭の中では既に結論が出ていることだから、その補強材料をちょこちょこ集めることは、ズボラな僕にとっては面倒臭い(笑)。なんていうのかな、僕はロジックやストーリーに関心があるんですね。そこでストーリーが完結していれば、もうそれでいいじゃない、と。しかしそれでは当然、科学者としては評価されないし、ダメなわけですよ。これはめちゃくちゃ辛いですよー!ボコボコに言われるじゃないですか。だからディフェンスしていくわけじゃないですか。それでもあっさり突破されて、味噌汁で顔洗って出直して来いって感じですよ(笑)。俺はどうしたらいいんだろうか…もうダメかもしれない…どうやって生きていけばいいんだろう…って感じですよね。

そんな頃に、科学史学会の分科会として、生物学史の夏の研究合宿っていうのがあって、それに申し込んで行ったんですね。そこでは、データはもちろんちゃんと集めるんですが、ストーリーが重視されるんですね。僕はこっちは得意ですから、「君面白いことやってるね」みたいに評価されるわけですよ。当時所属していた大学の理学研究科では全否定されてて、アイデンティティがズタズタになっている時でしたから、「俺のオーディエンスはここにいたのか!」みたいな(笑)。その時の出会いから、大学院生(京都大学 霊長類研究所)時代に名古屋の南山大学のゼミに週1回に参加することになって、そこで科学哲学や科学史のトレーニングを受けて、だんだん科学史の方に移って行ったんです。

越境しながら自分のスタイルを見つけ、仕事をつくる。

Q:大学院を出られた後は?

ずっと猿の研究を続けるつもりはなかったので、その後、三菱化成生命科学研究所というところに入ったんですね。この研究所は1970年頃に分子生物学者の江上不二夫さんという方がつくった生命科学の研究所なのですが、江上さんが「これからの生命科学は必ず社会との関係が問題になる」と設立当初から言っていて、実験をやらないで社会と生命科学の関係を考える研究室を作ったんです。その研究室のポスドクになりました。

当初は米本昌平さんという科学史が専門の方が室長だったんですけども、僕は進化論に興味があって、猿学をやっていたし、そういう方面の科学史とか科学哲学をやりたい、ここならできるだろうと思っていたわけ。ところが米本さんから「進化論やっても食えないから、ダメだ。環境問題をやれ。」っていわれて。環境問題とかがイヤだからきたのに(泣)

その後すぐに米本さんは学術登山隊で4ヶ月間くらいヒマラヤに行ってしまってですね、僕は一人で環境問題の本を読んで、一生懸命環境倫理学の論稿を書いたんです。それで米本さんがやっと帰って来たからそれを渡したんですよ。ところが米本さんは僕の10倍くらいズボラな人で、僕の書いたレポートもその辺に積まれてしまって、読んでもらえないまま終わっちゃったんですけどね…。

とにかく、千葉で猿害問題で悩み、アフリカに行ってもやっぱり逃げられないと思い、進化論をやるために三菱化成に行ったのに無理矢理環境問題をやらされて…、そうしているうちにだんだんと考え方が社会を意識するように変わっていったんでしょうね。自分はもともとは象牙の塔に籠りたいタイプで実践的な事は苦手なタイプだったはずなんですが、今になって思うのは、研究者の人たちをみてるともっと実践が苦手な人たちが多いみたいで。自分から積極的に社会とのインターフェイスを担いたいと思ったことはないんですが、仕方なく僕がやるしかないな、と思うようになってきたのだと思います。

Q:所属するコミュニティが移り変わりながら、考え方も少しずつ変わっていったんですね。

そうですね。そういえば、三菱化成生命科学研究所時代に、 文科系の人が沢山いる研究会で発表の機会をもらったことがあるんですね。そこで、チンパンジーやニホンザルの研究の話をして、「統計的有意で云々…」とか発表すると、美学をやっていた先生から、「統計検定なんかやって猿のことなんかわかるの?」とか言われてですね。えーーー!?って(笑)。それまで所属していたコミュニティでは定量的なデータを取れ、統計検定をかけろ、と5年間言われ続けてきたのに(笑)

しかも、そこで文系の人たちが話してる内容もよくわかんなかったわけ。オートポイエーシスとかヴィトゲンシュタインとかそういう話ばっかりしてて。で、僕が発表すると「統計はダメだ」とか否定されて、あの時は辛かったですね。

Q:領域を越境すると、それまで前提となっていたことが理解されないことがある。

そうなんですよね。その領域のやり方とか、流儀・暗黙知・文化のような、身体で身につけてるやり方ってありますよね。それが理解出来ていれば違和感を覚えないのだと思いますが、外から突然やってくると、違和感だらけ。そういうことですよね。

一方では定量的なデータを取って統計検定かけろと言われ、もう一方ではそれは違うと言われるのは、今にして思うと文化が違うだけなんですよね。逆に言うとある分野の専門家は、金科玉条のようにこのやり方が正しいと思ってるんだけど、相対化して俯瞰してみると、そんなに普遍的なものじゃなかったりする。

Q:コミュニティを越境して良かったことは?

面白いのは、捨てる神あれば拾う神ありで、『現代思想』という雑誌で環境問題の特集が組まれることになって、その編集に関わってた川本隆史さんから記事を載せないか?と声をかけてもらったんですね。その時に「埋もれてる原稿があります!」と、米本さんに読んでもらえなかった原稿を見せたら、面白いと言ってもらえて掲載されたんですよ。更にそれを読んだ中公新書の早川さんという編集者の方から声をかけられ、本を執筆することになったんですね。それが一番最初に出版した『現代思想としての環境問題』という本なんです。

だから、なんだろうな、その分野の人からは評価されないけど、隣とか、斜め横の分野の人が引っ張ってくれる、自分を救い出してくれる、という経験は何度もしてますよね。隣の領域の研究会とかには積極的に参加した方が良いと思いますよ、若いうちは。

Q:隣の分野とのつながりから、次の仕事がつくられていくことがあるんですね。

人脈をつくるというと下心があるようで嫌な感じがしますけど、研究活動というのは社会的な営みですよね。一人で研究は出来なくて、仲間が必要だし、籠って本を読んでいたとしても、その本を書いた著者がいて、それを出版・流通した人がいるから読めるのであって、一人で本を読む行為ですら社会的な営みなわけでしょ。

そうすると、自分の周りにあるそういった社会をどのように自分がつくっていくか、ということだと思うんですね。それの一環として、自分と興味や価値観が同じ人、自分を評価してくれる人を見つけて、そういう人たちと一緒に共同体を作っていくプロセスは、研究活動のベースにあることだと思うんです。そういう意味でも、研究はすなわち社会的実践である、と言えるんじゃないですかね。

“異端”が集まる縁側的な場を仕掛ける。

Q:現在の研究活動のベースとなる人のつながりはどのように作っていますか?

今はどちらかというと、大変ありがたいことに、学生さんが受験で来てくれたり、科学コミュニケーションに興味をもっていてこういう場を求めてくれる人が、僕を利用しにきてくれます。僕のところに来る人って大体「流れ流れて系」が多いんですよ(笑) それなりに力があるし面白いんだけど、今までのコミュニティが合わなくて、流れ流れてここに辿り着く。僕のキャリアに似てますよね(笑)

そういう意味で、東京大学という、ある意味、日本の研究教育の本流ど真ん中の大学に情報学環のような学際的な組織があって、そこに山内さんや水越さんとか僕のようなタイプの研究者がいるっていうのは、外部の同じような境遇の人からみると、利用しがいがあると思うんですよね。それは、東大の社会的な機能や使命としても重要なことだと思います。

もちろん、優秀なパワーエリートを養成していくことも東大の大事な使命だと思いますが、やはりパワーエリートだけでは社会は回らない。同じような実力があって、けど社会の仕組みと合わないがために力が発揮出来ていない人って、いっぱいいるわけです。それはその人自身に問題があるというより、社会の仕組みが現実に対応出来ないからそういうことになっている場合も多い。そういう人たちをうまく救い上げるというのは、企業や行政ではなかなか出来ないことかもしれない。けれども、大学がそれを出来る幅を持っているというのは、社会にとって重要なことだと思うんです。

Q:科学カフェのような実践はコミュニティ作りのための場でもあるのでしょうか。

そうですね。カフェっていうのは、もともとはパブリックとプライベートの中間にあって、誰でも入れるオープンな場です。マルクスとエンゲルスが出会ったのって、パリのカフェなんですよね。19世紀末〜20世紀初頭のパリやベルリンのカフェでは、色々な分野の人がうじゃうじゃ集まって、そこで新しい芸術や思想が生まれていた。彼らは今でこそ大家と位置づけられていますけど、もとは既存のコミュニティに合わなくて、はみ出して、流れ流れてカフェに溜まっていた人たちも大勢いたわけじゃないですか。カフェっていうのは新しいコミュニティを生み出す場として機能していたんですよね。

日本の場合はパブリックとプライベートがそんなに厳密には分かれていなくて、たとえば「縁側」が良い例ですよね。東大に情報学環・福武ホールをつくる時に、僕らはここを大学の縁側として機能させたいと思っていました。それが実際に山内さんのご尽力でうまい形で実現できていると思いますし、大学の中に縁側のような場があるのは大事なことですよね。科学カフェを実践することも同じなんじゃないでしょうか。

形式だけを真似ても場はつくれない。

Q:科学カフェの実践にはどのような課題がありますか?

日本の科学コミュニケーションの問題は形から入ることなんですよね。海外で科学カフェが流行ってるから科学カフェやろう、みたいな。だけどイギリスやフランスが科学カフェをやる前に日本は全くやっていなかったのかといえば、実は色々な似たような試みがあったんですよ。ところが海外の真似をして科学カフェをやろうということになって、文科省から予算がついて…という流れは、何か違うんじゃないかと思うんですよね。既に日本流の種はあったわけだから、それを発展させていけばいいじゃないかと。

しかもね、科学カフェの発祥はイギリスなんですが、イギリスの科学カフェを始めた人はパワーポイントを使わないように、ってしてたんです。パワーポイントを使うと学者の講演になってしまうから。ところがそれが日本に入ってくると「パワーポイントは使ってはいけません!」みたいにルール化したりするわけです。最近は前ほどは言わなくなったみたいですが…。

確かにイギリスの科学カフェではパワーポイントを使わないっていう原則がある、使った方が良い状況もあって、そういうのは柔軟にやってるわけですよ。写真や映像を見せた方が良い時もあるでしょ。パワーポイントを使わないっていうのは、使わないことが目的なんじゃなくて、使わないことで平場のコミュニケーションを活性化するのが目的ですよね。そこの目的と手段が履き違えられてしまう。形だけ真似て、何のためにそれをやるのかを考えないんですよね。ネクタイはしないでください…とかさ、そんなのさ、したい奴はすればいいしどっちでもいいじゃねえかと思うわけですよ(笑) そうやって、煩瑣な些末なルールが沢山できてしまう。

大学が社会のインキュベーション機能を担うために。

Q:佐倉先生はなぜ「大学」で活動を行うのでしょうか?

大学は、すぐ世の中に役立つ事を要求されないような、基礎研究であったり、あるいは人文系の研究であったり、芸術なんかもそうだと思うんですが、そういうことがやれるインキュベーションだと思っています。こういうのは、例えば100研究して、50とか20とかがイノベーションになるわけじゃないですよね。もしかすると100のうち1にも満たないかもしれないけど、ある時とんでもないイノベーションが生まれるかもしれない、という確率です。じゃあその100は社会のどこでやるのかと言えば、企業にはお金儲けがあってそんな無駄なことは出来ませんから、やはり大学しかないと思うんですよね。

中にはインドの昔のお経の研究みたいな「何の役に立つのか?」と言われるような研究もあるかもしれないけど、僕はそういうものがないと大学じゃないと思うんですよね。トキが絶滅したら復活できないのと同じで、情報のプールである知識が一度干上がってしまったら、復活できない。でもいま、絶滅危惧学問というのはものすごく沢山ある。それらをどこで支えるかといったら、大学しかないんです。

そうした状況で僕が不満なのは、外から「役に立たない」と言われた時に、その領域の研究者は「役に立つことばっかり求めるのがおかしい」とスネちゃう場合があって、それは僕は違うと思うんです。自分たちがやっていることがどれだけ日本の世の中を豊かにするか、自分たちが説明しないとダメだと思うんですよね。それはやってる人にしかわからないと思うから。我々の研究があったから日本の文化が、社会がこれだけ豊かになりました、というロジックを研究者が胸を張って言わないといけない。それが出来ないなら、その分野が絶滅してしまうのは仕方が無いと思うんですよね。

Q:しかし、全ての研究者が自分の研究の社会的位置づけを意識してしまうと、一見社会的に位置づけにくい創発の種が排除されてしまう可能性はありませんか?

うーん、それは難しい問題ですね。そうだね、社会を意識していないから創発の種が保たれている可能性は確かにある。だけど、例えば、科学史学会とかで、すごい面白い発表ももある一方で、よくわからない発表もあるわけです。古い中国の本の数学の記号の意味の研究、とか。発表していた人以外誰も理解できてないような研究なんだけど、そういう研究が蓄積することでその分野が発展するという部分はあるはずで、僕はその人の研究が意味が無いとは思わないんです。でも、そこで発表していることが、その学会の他の人たちとどういう関係があるのか、というフックは出して欲しいんだよね。それは研究してる本人から出してくれないとどうしようもないから。そのフックを重ねていくことで、社会にもつながるんだと僕は思ってるんですよ。最初のフックを出してくれれば、こっから先は僕がやりますよ、と役割分担出来る。それが僕の仕事でもあると思っているし、あるいはその分野の他の研究者でも出来るかもしれないですし。でも、最初のフックすら出さない研究者には、「お前何のためにやってんだよ!」と言いたくなる。最初のフックを出す努力程度で、創発性が排除されることはないと思いたいですね。

繰り返しになりますが、どんな研究にも社会的な意味があるんです。すぐに役立たない研究であっても、広い社会の中で、自分の研究はどんな意味をもっていて、どう位置づけられるのか、それをもっと自覚し、説明する努力をして欲しい。自戒の念も込めて、それを研究者としてのアイデンティティにしながら、研究していくべきだと思っています。

関連URL

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佐倉統 研究室
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鏡の国のサイエンス
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